守って行かなければならない人達

誰にでも、自分が守ってゆかなければならない人がいると思います。    まずは家族です。どんな事があっても守り切らなければならない人です。

それから社員とその家族も守らなければなりません。  もちろん友人、知人も大切にします。

こんな汚くて小さな会社であっても、何十人かの人を支えているのですから、泣き言は言っていられません。

では、ラオスはどうでしょうか?

私はラオスにこのような現実がある事を10年以上前から知っていました。いつかは行きたいと思っていました。そしてついに現地に赴きました。それから、彼らは貧しいけれど決して不幸では無い事も感じ取りました。でも彼らが、もっと近代的な生活がしたいと切実に思っている事も、再認識しました。  私が抱いている彼らに対しての思い(同情心?、使命感?、自己満足?営利が目的?)それは何なんでしょう? その想い、動機、は純粋なものであるのか? それを常に自分に問わなければなりません。  

かつて、京セラの会長、盛和塾の「稲盛和夫塾長」が語っていました。≪自分が新規の事業を興す時は、「自己の動機が純粋で有るか否か」それを常に真剣に自分に問うている≫と。

私もこれに倣わなければ、と思いますが、その純粋性にはイマイチ自信がありません。

私が事業を考える時はいつも「三方良し」を意識します。つまり、≪売り手良し≫ ≪買い手良し≫ ≪世間良し≫ です。このハーブ事業の場合、ラオスの事を考えれば「売り手とは、現地でハーブを採取する人」「買い手とは、アジアウッドの私」「世間とは、世界の人々」です。日本国内だけで見れば「売り手は、アジアウッドの私」「買い手は、ハーブを購入するお客さん」「世間は、日本の社会全体」です。   私はこのハーブの事業が「三方良し」の思想に合致していると信じています。だから、己の動機の中に少しくらいは不順な部分があっても良いのではないか、とも思います。

子供たち、可愛いらしいでしょう!

 

 

 

日本は本当に静かで清楚な国ですよね!そう思いませんか?

帰国して成田空港から東関東自動車道に入るといつも感じる事、それは「日本て本当に静かな国なんだ!」です。私はそんなに海外を沢山知っているわけでは無いですが、日本の空気は「苔のようにしっとりと、穏やかに地上に留まっている」、そんなふうにいつも感じています。  それが大都会の羽田空港にでさえ、成田に降り立った時の感覚と似たような空気感を感じてしまいます。  皆さんから、「あんたの間性が変っているからだ!」と言われそうですが、私は常々感じています。

海の無い国ラオスですが、やはり静かです。人々は穏やかに暮らしています。

 

先進国人だと思っている自分が、発展途上国を旅行する。チョット勝手者じゃないの!そう思うことがあります。

日本は百数十年前の明治維新の頃から先進国になったのではないでしょうか?

日清日露の戦争があり、第一次大戦そして太平洋戦争、日本の国はこれらを乗り越えて来ました。そしてこの数十年は平和な生活を楽しめています。私にも海外に出るチャンスが与えられました。

私は旅行した時、自然溢れる風景、素朴で前近代的な生活様式に一時でも囲まれる事を望みます。そんな私が、旅に出て勝手な願望を持っている自分に度々気が付きます。つまり普段は自分が文明の恩恵を存分に受けて生活しているにもかかわらず、地方に行った時や、海外に行った時は、文明がまだ入っていない状況を望んでいる事に気づくからです。普通の人であれば、だれでも便利で清潔な生活を望むのは当然ですから、発展途上国の人々だって、文明の利器に浴したいのは当然です。それなのに自分が、文明から遠い世界に入り込みたい欲望があるもので、自分が行った地域が未開拓である事を望んでしまうのです。誠に勝手だと思いませんか?しかし、この思いは殆ど全ての日本人に当てはまっているのではないでしょうか?

ラオスには、自然が溢れていますし、日本の二昔も三昔も以前の形で人々が生活している地域が沢山有ります。

でも、この地域にも近代化の波はどんどん入ってきています。

この山中に新しい道路が出来るのです。時々大型ダンプカーやミキサー車が埃を舞い上げて通り過ぎて行きます。但し、全て中国から来た会社の車です。恐らく中国が資金援助しているのでしょう。何故、中国が資金援助するのでしょうか?ラオスの将来に禍根が残らなければ良いのですが?!

これがラオスの人々にとって、喜ばしい事か?困った事か?難しいところです。何故だか、日本の援助は殆どありません。

この家庭に訪問したのは2回目です。子沢山の家族で、以前ここの旦那さんに山中のハーブが採取できる場所へ案内してもらいました。この地域は現金収入の手段が殆どありません。ハーブを買って上げられれば僅かでしょうが、この人達の役に立てる気がします。もし興味が有る方が、そんな事の手助けをして下されたならば幸いです。

 

何処の国も同じです。夕暮れには安らぎの時が訪れます。

国が平和であれば、人々の思いは何処の国も同じだと感じます。

日暮れには家族の待つ家に向かい、家族の団らんが一日の疲れを癒します。  戦争や悪政はその平和な世界を破壊してしまいます。それは絶対に止めなければなりません。

私は夕暮れの風景を好みます。そこには平穏な世界があり、安らぎが満ちているからです。

日本の人情と我慢強さは自然災害によってもたらされたのでは?

日本列島は世界で最も自然災害が多い地域だと思います。

地震、カミナリ、火事、オヤジ、は昔から怖いものの代表でしたが、今やオヤジはその地位から脱落してしまいました。昨今の「オヤジ」像は、羊のようにおとなしく従順で「女房や子供の踏み台的存在」へと変化してしまったのでは?  エ~ッ!、それは「あんた」の家の話だろうって!!              ウ~ン!、その通りかも知れませんが、ともかくも「オヤジ」の地位は地に落ちました。

その代わりに地震や火山、台風や洪水、の怖さは益々増長して来て、最近では豪雪や大火のニュースまでもが絶えません。そんな過酷な自然環境にもめげず、日本の人々は日々の暮らしを、何とか平常心を保ちながら続けています。新年を迎えれば、神社や仏閣に初詣し、初日の出に手を合わせます。

ではアジアの国々はどうなのでしょうか?

タイ、ラオス、ミヤンマーは仏教が本流ですが、インドネシアやマレーシアはイスラム教やヒンズー教が主流、バリ島ではそれに仏教が交じり合ったような独特の宗教があるようです。

このように、狛犬を見ただけでもお国柄の違いがわかります。

続きは次回の投稿にまわします。

素晴らしい日本

世界の国々そしてアジアの国々、地球上には様々な国が有りますが、どの国も住めば都で素晴らしい所だと思います。その中でも特に我々の国である日本は素晴らしいと感じます。日本は世界に誇れる文化を持っています。日本人は世界に誇れる人間性を持っています。

三月ともなれば、冬がようやく終わり春の到来を感じる事が出来ます。桃の節句の頃には空気も緩み、草木は待ちかねたように芽吹きを始めます。人々は心を弾せ、屋外に出る機会も増えます。

千葉県の勝浦市では沢山の雛人形を飾るイベントが催されます。

同時に別の会場では、竹灯篭まつり「里あかり」のイベントも開かれます。

地元の有志によってもたらされる、素晴らしいロウソクによる光のページェントです。今年は8000本もの竹灯篭が飾られました。

竹灯篭の光をピアノ演奏が更に幻想的にしました。

アジアの国々に触れた時、日本の素晴らしさを再認識する事が度々あります。

本日よりアジアンブログを始めます。

こんにちわ。私はアジア・ウッド・ジャパン(株)の代表です。金田敏彦と申します。宜しくお願いします。   人生色々とありますが、この歳になって新しい事を始めるのは少々大変です。でも、頑張ってみますので、宜しくお付き合いください。

ここはラオスのルアンパバーン、(日本でいえば京都)古い町です。後ろはメコン川の支流、ここから1Kmくらい下流でメコン本流に合流します。