誰にでも、自分が守ってゆかなければならない人がいると思います。 まずは家族です。どんな事があっても守り切らなければならない人です。
それから社員とその家族も守らなければなりません。 もちろん友人、知人も大切にします。
こんな汚くて小さな会社であっても、何十人かの人を支えているのですから、泣き言は言っていられません。
では、ラオスはどうでしょうか?
私はラオスにこのような現実がある事を10年以上前から知っていました。いつかは行きたいと思っていました。そしてついに現地に赴きました。それから、彼らは貧しいけれど決して不幸では無い事も感じ取りました。でも彼らが、もっと近代的な生活がしたいと切実に思っている事も、再認識しました。 私が抱いている彼らに対しての思い(同情心?、使命感?、自己満足?営利が目的?)それは何なんでしょう? その想い、動機、は純粋なものであるのか? それを常に自分に問わなければなりません。
かつて、京セラの会長、盛和塾の「稲盛和夫塾長」が語っていました。≪自分が新規の事業を興す時は、「自己の動機が純粋で有るか否か」それを常に真剣に自分に問うている≫と。
私もこれに倣わなければ、と思いますが、その純粋性にはイマイチ自信がありません。
私が事業を考える時はいつも「三方良し」を意識します。つまり、≪売り手良し≫ ≪買い手良し≫ ≪世間良し≫ です。このハーブ事業の場合、ラオスの事を考えれば「売り手とは、現地でハーブを採取する人」「買い手とは、アジアウッドの私」「世間とは、世界の人々」です。日本国内だけで見れば「売り手は、アジアウッドの私」「買い手は、ハーブを購入するお客さん」「世間は、日本の社会全体」です。 私はこのハーブの事業が「三方良し」の思想に合致していると信じています。だから、己の動機の中に少しくらいは不順な部分があっても良いのではないか、とも思います。
子供たち、可愛いらしいでしょう!