ラオスの実力者しかも大金持ち。でもその人は、気さくで飾らない人でした。

このブログ、これまでは、今までの私の人生に於いて感じ取って来た、社会観や歴史観などを「多面的」且つ「大雑把」に取り上げて来ました。       これからは、私の「目」や「肌」が感じ、得とくした事柄を一つ一つ細かく取り上げて記述しようと思います。

ラオスには大勢の貧しい人々がいます。でも、一握りですが「裕福な人」がいる事も事実です。今回はラオスでも「まれに見る大金持ち」に焦点を絞ります。      その人と言うのは、私がラオスで最初に知り合いとなった、友人の父親です。

私はその友人の父親が相当の大金持ちだと言う話は、以前から聞いて知っていました。でもどれ位の資産家であるのかは想像がつきませんでした。そんな中、彼は、私を自分の実家に連れて行って父親を紹介する、と言ってくれたのです。 私は、これは「表敬訪問」になるのかな?と思って、失礼があってはいけないと考えたので、ネクタイを締めて行きました。何しろ彼の父と言う人は、15種類を超える事業を営んでいる、と聞いていたからです。

私達がウドムサイの街はずれにあった大きな屋敷に着いた時、彼は、ここが自分の実家なんだ、と言ったのです。その時は本当にびっくりしました。それが個人の住宅とは思えなかったのです。

車で庭に入ると、この建物の隣の建物(それも豪華)の玄関先で数人が食事をしているのが見えました。その人達を、私はこの家の使用人が外(玄関先の軒下)で朝の食事しているところだ、と思ったのです、でも違いました。その中の一人が彼の父親だったのです。父は食事を中断して、私を家の中に招き入れました。そして朝食を一緒に食べようと、わざわざ主人自らの手で表から食べ物を運んでくれたのです。 その主人は酒が好きで、朝から一杯やっていました。お前も一緒に飲め、と言われたので一緒に飲ませてもらいました。もし、父親がこのような人柄の人だと最初から知っていたなら、わざわざネクタイなどせず気楽な気分で面会が出来たのに、と思いました。

私が彼に「あんたの実家すごいね」と言うと、彼は「じゃあ見てみなさいよ」と、家の中を案内してくれました。

床も天井も、螺旋階段も、そしてドアも家具も、壁の腰板までもがローズウッド(紫檀)でした。私は木工もやっていたので、ローズウッドが超高級な材料(ラオスでも)である事は知っていました。この建物がどんなに贅沢に出来ているかが、すぐに判りました。

 

朝食が終わると、父親は、住居に隣接している果樹園の手入れと、この庭の掃除は自分の仕事だ、と言ってせっせと取り掛かりました。

 

美しい日本、春を謳歌する花々。

四季が明確な日本列島。彼岸が近いこの頃ですが、私の地域では春が訪れました。雪国はまだ深い雪に閉ざされている季節です。南の地域では桜の便りが交わされています、桜前線が北上を始めました。 私の住んでいる千葉の春は、梅が咲いて、こぶしが咲き、雪柳が満開になり始めると桜のつぼみ蕾が開き始めます。春はこんな具合いでやってきます。

今回は何も考えずに、日本の春の写真を掲示します。四季折々に変化する日本の美しさを連想して頂けたなら幸いです。

我が家の「すもも(プラム?)の樹」は誇り高々に沢山の花を咲かせます。でも毎年、春が終わる頃2センチ位に育った大量の実は、あえ無く全てが落ちてしまいます。悲しいかな、素人の私にはその原因が解らないので、実を救う事が出来ません。

春本番になると、庭の草花も生き生きして来ます。

「樹木の花」や「野に咲く花」だけでなく、花屋さんの店先は、春がはじけ花があふれ出しています。

ラオスにも春があるのかどう私は解りませんが、一月の末頃になると、乾季に入ります。乾季は日差しが強いけれど、空が明るくなります。無舗装の道路は「泥の道」から「砂埃の道」へと変わります。ところで、私には今度ラオスを訪れる時、友人に聞いてみようと思う事があります。それは、「乾季に入ると人々の心は浮き立つのかどうか?」 そして、「雨期に入ったなら、作物は潤うのですが人々の気持ちも潤うのかどうか?」です。

地味で目立たないラオスの国柄、この国ににだって乾季には美しい花々が咲き誇ります。

美しい風景と平凡な風景。 美しい人と普通の人。 どこが違うのでしょう?

私がいつも抱く疑問、それは「ある人が美しいと感じるもの」に対して、大抵の場合、「他の人も美しいと感じる」、と言うことです。  人の好みは千差万別なのに、美しいと評判になっている人を、誰もが美しいと認める(余程の変わり者は別です)でしょうし、風光明媚な景色には誰もが感動します。不気味な物、得体の知れない物を大半の人は、「気持ち悪い」と嫌います。人って、どうして、こんな風に同様の感覚を持っているのでしょうか?「人の好みは千差万別」の筈なのですけれどもね?

写真中のラオスの風景(ファイサーイのレストラン)を、風光明媚だと感じる人は殆どいないと思います。

私はこの日本の風景を綺麗だと感じます。皆さんはどうでしょうか?

では、こちらの風景はどうでしょうか?

この景色をある人は綺麗だと感じるでしょうが、別の人は平凡だと感じるかも知れません。 この風景を平凡だと感じる人は、「ラオスには美しい風景が少ない」と思うかも知れません

ところで、「綺麗である事」と「興味がそそられる事」は別次元の話ですから、ラオスの情景を「美しい」かどうかだけの観点ではなく、「興味が持てるかどうかの観点」から眺めて頂ければ幸いです。

この二枚の「浅瀬の風景写真」は似たような光景ですが、場所は全く異なります。似ていても違う雰囲気、そこが不思議です。

この夕焼けの風景を私は美しいと感じます。 と同時に、情景の中にエキセントリックな物悲しさも感じます。

とは言うものの、ヨーロッパの風景にはやはり惹かれるものがありますね。

 

 

五千年も奪い合いが続いている地。乳と蜜の流れる地、「カナン」。

またまたアジアの地から脱線ます。今回は中東に行ってみます。皆さんも、これまで私のブログを見て気づかれたと思いますが、「ラオスの写真」は他の地域のものと比べると、「余り見栄えがせず退屈な絵柄」になっていると感じる事でしょう。「ラオスという国」は何処に行っても自然が溢れ、人々が貧しくても平和に暮らしています。そのような場所を写真の対象として見れば、「変化に乏しく、写真にするのが難しい」つまり写真になり難いのです。それとは対照的に中近東には写真に良い素材が沢山あります。今回はイスラエルの北部が舞台です、国境線も曖昧な地域に焦点を合わせます。

夜明けのガリラヤ湖です。太陽はゴラン高原の向うから昇ってきます。

ここは「ガリラヤ湖」地球上で二番目に海抜の低い湖です。海抜はマイナスで約200mです。「死海」は世界一低い湖ですが、ここから約80Km程南に下った所です。その海抜はマイナス約400mです。ガリラヤ湖から流れ出る水(淡水)は死海に流れて行きます。それがヨルダン川です。死海は世界で一番低い所だからその水は何処にも流れ出る事が出来ないのです。太陽の光と熱で段々濃縮されて、ついには塩水になってしまいました。しかも濃度が濃すぎて塩が結晶として析出するまでになったのです。このブログでも、いつの日か死海をテーマにしたいと考えますが、今回は「ガリラヤ湖」です。

夜のガリラヤ湖、湖の上に点在する灯りはゴラン高原に入植した人々のです。

ガリラヤ湖はティベリア湖とも言われますが、この地域はギリシャ時代以前から多くの民族が奪い合って来た肥沃な土地です。私はクリスチャンではないので詳しいことは知りませんが、旧約聖書に出てくる「出エジプト記」の事は、海が割れるシーンで有名な映画になりました。これは約3000年前(正確には解っていない)の話で、モーセは当時エジプトで奴隷にされていたユダヤ民族を引き連れて、「約束の地」、「乳と密の流れる地」、と言われていたこの地方(カナンの地)を目指した歴史を語っています。ユダヤ教では、ユダヤ人は「神から選ばれた民族」、「カナンの地はユダヤ民族が神との約束で与えられた土地」だと教えています。カナンの地はゴラン高原やガリラヤ湖、死海、その周辺の地から地中海に至る肥沃な土地だったのです。周辺の民族だって自分の土地にしたくなるのは当然の話です。だから五千年間も奪い合いの戦争をしてきたのです。

カナンの地(ゴラン高原も含む)は、シナイ半島やアラビア半島、イランやシリア、等々の非常に乾燥した土地と比べれば、比較的に雨量が有りますから肥沃な耕地が広がる魅力的な土地です。なので、力(武力)を持つ者が支配する土地であり続けましたした。ユダヤ民族はローマの時代にはこの地から追われ、世界中に散らされました。そして暗黒の第二次世界大戦が終った時、国際的にイスラエルの建国が認められたのです。それが認められるやいなや、ユダヤ民族はこの地に結集して来たのです。現在に至っても入植は相次ぎ、周辺国の民族(パレスチナ等)との摩擦が絶えません。ユダヤ系の民族は優秀な能力を背景とし、その富を武器にして、支配地域を広げてきました。付け加えれば、ゴラン高原は中東戦争にイスラエルは勝利し、シリヤからから奪い取った土地です。今も占領が続いています。

ゴラン高原からガリラヤ湖に下った辺りで、約2000年前イエス・キリストが布教活動を始めました。その時、イエスは30歳くらいだったらしいです(イエス・キリストは殆どの布教活動をガリラヤ湖周辺で行っている)、それまではナザレの街で大工をしていたとのことです。驚くべきは、イエスが布教活動をした期間は僅か3年に過ぎなかった事です。33歳の頃に磔(はりつけ)の刑にあったのです。そして2000年以上継続した今も世界中で信仰されているのです。

ガリラヤ湖、湖畔の小高い丘の上で、イエスが多くの民衆に向かって説教をしました。それは「山上の垂訓」と言われ有名な話です。新約聖書に記されています。その場所は学術的には特定されていないらしいですが、現在はその場所だと伝承されている所に「山上の垂訓教会」が建てられています。

ガリラヤ湖は大地溝帯の一部という地勢的な条件もあって、湖面が頻繁に大荒れになるそうです。その為か、聖書の世界ではイエス・キリストが幾多の奇跡を行った話が沢山書かれています。

今回のテーマは路地(枝道とも言います)にしようと思います。

人の住む所ならば、余程の未開発の地域でない限り、どこだって、地図で見れば道路は血管のように大動脈から毛細血管のように網目状に分布しています。大動脈は大通り、毛細血管は枝道であり路地です。私は街角が好きなのと同じように、路地も好きなのです。そこには「表向きの顔」ではない「日常生活の顔」があるからです。

「枝道」と言いましても枝の先の方ではなくて、路地と同じように、本通りからちょっとだけ脇に折れて入った部分でして、ほんの20mか30mも歩けば本通りに出られる、そんな場所の事を念頭にして書いています。

例え表の通りは華やいでいたとしても、路地にはまるで「楽屋裏のような人間臭さ」と「普段着の気楽さ」が漂っています。 私はそんな雰囲気を心地よく感じます。

しかしそこに住んでいる人の立場から見れば、「勝手に自分たちの縄張りに入り込んで来た≪よそ者≫、そいつが許可も無しに写真を撮っている!」 「無礼な奴だ! けしからん!」と、不愉快に思っているかも知れません。だから大急ぎでシャッターを切ります。ですので、なかなか面白い写真になりません。やはり、路地は「さりげなく」自分の目で見るだけで通り過ぎる、そのほうが無難かとも思います。 

でも、です。 それでもシャッターを切らなければならい! そうしないと、自分が現実にその場所に立っていたという証拠が残せないからです。 このことに非常に強いジレンマを感じます。

 

 

 

「人生の清算は自分でしなければならない」 ある作家の言葉です。

ある作家が、「作家は物語を作るのが仕事だけれど、どんな人も、最後には生きた証しになっている様々な場面を糸に紡いで、その糸で人生の物語を織り成さなければならない。」と、このような意味合いの発言をしていました。そして「美しく織り上げる為には、それぞれの糸を美しくしなければならない」と付け加えていました。   織り上げた布は、自分で見ることが出来るわけでもないし、人に見てもらうものでもありません。無限なる時の流れのある一瞬、そのような人生があったと言う小さな波紋を作るだけで、永久に消え去るだけでしょう。

私は様々な場所でいろいろな光景を目にして来ましたが、「街角」の風景がすごく好きです。「街角」とは「道の曲がり角」ということではなくて、「人々が街の中に溶け込んで生きている場所」の事を言っています。街角では、そこに登場しているそれぞれの人物の「生き様」が覗き見れるような気がするのです。

ここはヨーロッパの街角です。

一方東南アジア。こちらの醸す雰囲気はまるで違います。

中国の街角、ここの雰囲気も東南アジアとは異なっています。

東洋人である私は、ヨーロッパの雰囲気は「綺麗で垢抜けしていて新鮮」だと感じます。  でも西洋人からアジアを見れば、「土っぽさと埃っぽさ」が目立つけれど、「エキゾチックな新鮮さ」を感じるのでは?と思います。

 

世界中無数にある信仰、それをテーマにする無謀さ! でも今回も宗教的建築物を取り上げます。

現代はイスラム教が最も信者数を延ばしていると言われています。学者でもない私には何故そうなのか原因が解りません。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教がぶつかり合っている場所、イスラエルのエルサレムは度々ニュースで流れます。私も行った事がありますが、その話は別の機会にします。今回は余り戒律的には厳しくない、「トルコ」と「モロッコ」を取り上げます。

トルコにはそこいら中の町や村に「モスク」があります。

私は、このような国中に点在するモスクも十分観賞に値すると思います。でも、世界遺産となっているイスタンブールの「アヤソフィア」を採り上げない訳には参りません。ここは現在は「モスク」ではなくて「博物館」でして宗教行事が禁止されているそうです。

アヤソフィアの原型は西暦360年頃キリスト教の大聖堂として建てられたものが占領や地震によって壊れ、西暦420年頃再建されたらしいです。しかし当時としては余に巨大だったドームは、歪み崩れて修復や再建が繰り返されていたけれど、キリスト教の聖堂でした。でも1453年にオスマン帝国に占領されてから、1480年頃にイスラムのモスクに改修されたそうです。1934年オスマン帝国滅亡後に建国されたトルコ共和国によって、博物館として改修されたと言う長い激動の時代を経て現在に至っているらしいです。長い戦乱と地震、海に近接している状況によって建物は歪み崩落を繰り返しました。その度に修復された建物には歴史の味が浸み込んでいるように思われました。

イスラム教の別の大きなモスクは、このアヤソフィアに隣接して建っています。「ブルーモスク」と言われる美しいモスク、有名ですので内部の写真だけ掲示します。

モロッコもイスラムの国ですが、トルコとは雰囲気が全く違うモスクが、やはり村々にあります。どのモスクにもミナレットと呼ばれる塔を擁しているのは同じですが、こちらは角柱です。モロッコには円柱を造る技術が無かったとも言われています。

乾燥した大地をバスで行くと、たまに集落が見えて来ます。小さな川が流れている所やオアシスがある場所だと思われます。

モロッコでは、これまで見た経験が無かった風景を沢山見る事が出来ました。いづれかの機会に紹介します。

今度は仏教の寺を取り上げましょう。  まずは「タイ」です。 タイでは何処の村に行っても寺の建物が見られます。地方の村でも、タイの寺は煌びやかな建築物を擁しています。華やかな色合いの色ガラスやタイルのモザイク壁面は、見る者を圧倒します。

タイは観光で多くの人が訪れていますので皆さんもご存知かと思いますので、同じような仏教国であるラオスに焦点を合わせます。

ルアンパバーンの寺院です。拝観料(約70円)もとります。国民性の違い?経済力の違い?歴史の違い? どんな理由かは解りませんが、どちらかと言えばラオスの寺の方が日本の寺の雰囲気に似ています。でも地方の寺はもっと質素です。

由緒は無いかもしれないけれど、歴史を感じます。日本で言えば村の鎮守様と言う感じです。ラオスには小さな村々に寺が有りますが、山間部の貧しい地域にはありません。

最後にインドネシアのボロブドールを掲示します。ここは仏教遺跡です。三階の思想、「欲界」「色界」「無色界」を象徴している建造物らしいです。その下の基壇回廊にはレリーフが施されて「釈迦の生涯」の物語が綴られています。

有名な世界遺産ですから訪ねた方も多い事でしょう。

 

 

 

宗教は人々の生活と切り離せない重要な要素です。全ての国に存在します。

私はこのブログを、「自分が抱く世界観や歴史観」に照らし合わせて書こうとしています。  

まだ書き始めて間がないので、現在は「日替わりメニュー」のように、あっちへ飛びこっちへ飛びしています。それは私の思考形態が持つ「一種の癖」でして、まずは物事を色々な側面から眺めまわし、その後でゆっくりと細部を見てゆくというものです。

ですので、今回は視点をがらりと変えまして宗教に置きました。

「仏教」「キリスト教」「イスラム教」が世界の三大宗教と言われていますが、世界には無数と言えるほど沢山の信仰があると思います。私は学者では無いので、正確かどうかは解らないですが「独断と偏見」で書きます。

狭い視野でしか見えていないとは思いますが、自分の眼で見たもの、自分のカメラで撮った世界、を提示しようと思っています。今回は「ユダヤ教」「原始キリスト教」「キリスト教」のこれらの教会堂の「写真1」を掲示します。続きは「そのうち掲示する」としましょう。

ヨルダンのユダヤ教の教会堂です。

グルジア(現在はジョージア)の山頂にある教会堂、原始キリスト教の遺産かと思います。

ギリシャの教会、ギリシャにはギリシャ正教と言うのがあるらしいので、もしかするとその教会かもしれません。

イタリアのキリスト教大聖堂(アッシジにある:聖フランチェスコ聖堂)。

次回は「仏教」と「イスラム教」を取り上げようと思います。

 

写真は四次元の時空を捕らえる! チョット大げさが過ぎるかな?

私は、皆さんにラオスなどのアジアの国々に関心を持ってもらい、理解してもらいたいと思っています。そして、私が志すハーブ(薬草)事業の背景を知って頂いた上で、私がつくるハーブ製品を買って頂きたい。そんな思いでこのブログを書いています。

つまり結論として、私はラオスの人々が山で採取するハーブ(薬草)を買って上げたいのです。 でもそんな事ばかり言っていたのではつまらないので、中身を膨らませようとしています。

今回のブログ、別の切り口からの断面を見て下さい。

私は写真を趣味にしています。一口に写真と言っても守備範囲は広いですが、私は、「写真を撮る事」、「画像処理をして印刷する事」、そして「記録として残す事」、これらの事柄に興味を持っています。

写真は二次元の平面に「像」として在るだけです。でも不思議な事に、捕らえている対象物は三次元で「実在する物」です。更に考えてみれば、その他に「時間を捕まえる」と言うもう一つの次元を持っています。それが「記録する」と言う要素で、私が非常に大事にしているものです。

今回は一番身近な存在である「我が家のカミサン」の時間の流れに的を絞りました。 ウソでしょう! 誰にでも若い時があったのです。写真はタイムマシン。

我々の日本は何処へ向かえば良いのでしょうか?

ひと昔前、日本はアジアの兄貴分になってアジアの国々をリードして行かなければならない、なんて言葉をよく聞きましたが、最近では殆どそんな話は出てきません。日本の影響力はどんどん低下しています。

でも、諸外国で日本の文化を高く評価する機運が高まっているのも事実です。

アジア(特にラオスやマレーシア)には自然はふんだんに在りますが、文化的には余り恵まれていません。その点ヨーロッパはそこいら中に魅力的な建築物、絵画、音楽、工芸品、等々が在ります。今回はチョットラオスを離れてそんな地域に目を向けてみましょう。

 

欧米には女性が好む風景が沢山あります。

さて、これから日本はどこに向かって行くのが最善なのか?         考えて行きましょう。