昨今、「終活」なる言葉が「巷で結構とり上げられる」ようになりました。 新聞に、「中尾彬夫妻」著による「終活夫婦」なんて本の「広告」が載っていました。「人生の後半戦を愉しむためのバイブル誕生!」なんてキャッチフレーズも書いてありました。何かつまらない事を言ってるものだと、私は感じました。「終活」と言うのは、簡単に言えば「自分の身辺整理をする事」だと解釈しています。つまり、生きているうちに、自分の身の回りにある雑多な物や事柄を、整理したり処分したりする事のようです。自分が死んだ後、残された人達が困らないように、「自分に関わる事の始末」をどうするか予め決めておけば、後はスッキリと生きて行けるから、残りの人生を、「自由」に且つ「安心」して過ごせる、そんな事だと思います。この考え方に対する皆さんの対応はそれぞれでしょうが、私はこの「終活」なるものを行おうとは思っていません。
人間、「何時死ぬか解らない」ので、身辺整理をしておかないと残された人達が苦労をする。それが発想の原点でしょうし、賛成意見も多数あるでしょう。 しかし、逆に「何時まで生きるのか解らない」のに、早めに身辺整理をしてどうなる!と、私は考えるのです。
世界中で、死んだあとどうなるのかを考えて様々な宗教が生まれました。
「死」と言う難題は、何千年も昔から人間にとりまして、最も重要な「命題」でした。
宗教的にはどうか解りませんが、私は「死を克服した人は一人もいない」と思っています。「悟り」や「解脱」、「救い」とか「昇天」とか、「極楽浄土」とか「天国」とか「地獄」とか、色んな言葉が死を乗り越える為に使われて来ました。でも、どうなんでしょうね??
私は「死んだ後の事より、生きている現在の方が大事」でして、「日々をどの様に過ごして生きるのか」を優先して考えようと思っています。
だから、「終活」をしている時間があったら「現活」をしようと考えます。 過去の事を考えるより、未来の事を考えた方が「前向き」だ、と言う話も良く聞きますが、私は「ある程度の年齢」になったら「過去の出来事を思い出す」のは非常に「有意義」だと考えています。「暗い未来」の話も、「明るい過去」の話も、どちらも「観念の世界の有様」に変わりありません。だから、「暗い未来を想像」するよりも、「明るかった過去の郷愁に浸る」方が、遥かに健康的だと思います。
私はこの歳になって幾つかの「新しい事」を始めました。正に「終活の反対の事を実践する作業」です。その結果、益々「自分にからみ付く荷物」が増えて来ています。そうすると、多分「後に残された人達」は「私がやり散らかした事」の「後始末」に苦労する事になるでしょう。でも一人の人間の一生に関わる事だから、少々手間が掛かっても、それは大目に見てもらう事にしようと決めています。
どなたも、閉店準備をしている店に行ったことがあると思います。あなたは、閉店作業をしている店に行って、「快さ」や「魅力」を感じますか? まだ「営業時間中」にもかかわらず、「後片付け」をせっせとやっているのですよ! 「生きているうちに死んだ後の準備をする『終活』」とは、そのようなものだと思うので、私は「終活をしない事」に決めているのです。