夫婦関係が50年になると「金婚式」と言うのをやるらしいけれど、友人関係が50年になったら何と言うのでしょうかね?結婚の場合は「1年目」の「紙」から始まって「70年目」のプラチナまで、様々な宝石や貴金属の名前が連らなって出てきます。この風習はイギリスに始まって明治時代に日本に伝わったらしいです。 ところで「友人関係」の場合はもうチョット科学的に行って「原子番号」かなんかでやったら良いと思います。一周年目は「水素」です。二周年は「ヘリウム」50周年は「錫」スズです。原子番号は「オガネソン」と言う「118番」になる元素で終わりです、これ以上番号が大きい元素は無いのでここで友人関係も打ち止めですが、人類史上この年まで続いた関係は無いので問題はありません。 ところで私の古い友人との関係は「55周年」になるので「セシウムの関係」です。福島の原発事故で悪名が高くなった「セシウム」は同位元素と言うのが何種類かあるけれど、「Cs」と表記されます。来年は56周年だから「バリュームの関係」になります。このやり方は一見良さげに見えますが、大きな欠点があります。79周年が「金」、78周年が「プラチナ」47周年が「銀」となって、夫婦関係の呼び名と重なってしまいます。混乱するから不採用となるでしょうね。 ちなみに、「鉄」は26周年ですし、ダイヤモンドの素である「炭素」は6周年です。と言う事で、感覚的にもしっくり来ないですね。
考えてみれば、100年くらいの数字を「物に置き換える」のは結構難しいですね。干支は繰り返しだから駄目ですし、「マージャンパイ」だって「花札」だって大した数にはなりませんしね。
そんな事はどうでもいい事なのですが、私の「セシウム仲間」が先日「書籍」を出版しました。若い頃は「赤ひげ」のように逞しく伸びていた髭、最近は白髪も混じって、実に寂しくなってしまいました。酒を飲んだ時の態度は、もし髭が無かったなら、「フウテンの寅さん」そのものみたいなところがあるのです。容姿は「70歳の赤ひげ」かもしれません。昔はいつも、妹の「さくら」が「お兄ちゃんがまた迷惑掛けちゃってすいません」と、あちこちに 頭を下げて歩いたのと同じ姿で、謝って歩いていました。が、しかし、その「彼氏」が出した「著作」を読んだ人は、「寅さんの雰囲気なんて何処にも無いよ!」と思うかもしれません。憎めないところだけは「寅さん」に似ているけれど、これでなかなかの苦労人でして、「根っこの部分」は「それなりに」真面目なのです。
私がいつも彼氏に言っていた事は、「この世で、お前と張り合える人間は俺しかいないし、俺と張り合える人間はお前しかいない」、そんな言葉でした。だから我々は「死ぬまで」張り合っていなければならないのです。中学、高校、大学、全部同じところでした。会社を引退したのも同じ年だったし、彼氏がカンボジアに学校を作った年に、私は人助けが出来ないものかと思ってラオスに行ったのです。こんな風に書くと相談してやったように見えるでしょうが、実は進路について話し合った事など一回も無いのです。全く偶然にそうなっただけなのです。
もう随分昔の話になりました。30年くらいになるかも知れない。彼氏が交通事故で死に損なった事がありました。その知らせを聞いた時、勿論私は「大変な事が起こった」と思ったのですが、もしも「あいつ」が死んだらどうなるだろう?と考えました。あいつが死んだら「多分」悲しいだろう、そうは思ったけれど「悶え苦しむ程の悲しみは無いだろう」、と思いました。それよりも「自分に残されたこれからの人生、きっと長いだろうな~」そんな感覚でした。あれから30年、まだ彼氏は「相も変わらず」寅さんをやっていますけれど、「これで良いのだ!」と思っているところです。
昔の漫画に「あしたのジョー」と言う傑作がありました。シリーズ最後の方に「矢吹 丈」と「力石 徹」との死闘の物語があります。「力石」は「ジョー」よりも体重が何階級も上だった為に、そのままでは試合が出来なかった。しかしライバル意識に燃えていた「力石」は、試合をする為に過酷な減量を重ねたのです。そして、ついにジョーとの対戦が実現しました。力石の武器は強烈な「アッパーカット」、ジョーの武器は「クロスカウンター」でした。試合は両者が譲らない壮絶な戦いになったのですが、力石の強烈なアッパーカットがジョーの腹に入りジョーがダウン。ジョーを育て上げた「丹下段平」がリングサイドから「立てジョー!、立つんだジョー!」と怒鳴ったにもかかわらず、ジョーは立ち上がれませんでした。ノックアウトされたのです。しかし「ジョー」の激烈なパンチを食らっていた「力石」は、過激な減量が祟っていた事もあって、試合直後に死んでしまいました。この話は当時余りにも有名になって、ファンによって「力石」の葬式が行われまして、新聞紙上を賑わせたほどでした。
その後、ジョーは「ライバルの力石」がいなくなってしまった事で「腑抜け状態」になったしまったのです。丹下段平の必死の説得でジョーは復帰を果たし、連勝を重ねるようになったけれど、「力石の死の影」はジョーから消えることは無かったのです。それがトラウマとなって、ジョーは何としても相手のテンプル(こめかみ)へのパンチが出せなくなってしまっていました。
人間が力強く生きて行く為には、どうしても「良きライバル」が必要だと思います。ライバルのいない人生は寂しく空しい事でしょう。私のライバルである「セシウムの寅」もう70年も生きているから、時に力を失ってしまうことがありました。そんな時、私は、「立て寅!、立つんだカズナリ!」と内心で叫んでしまっています。もっとも、どっちが「ジョー」でどっちが「力石」なのかは、分かりませんけれど。