「過去を懐かしむのは愚かな事だ、未来を見つめよう。」 若い頃こんな言葉を良く耳にしました。 でも本当に、過去を懐かしんでも何も起こらないのでしょうか? 未来を見据える事だけが「希望への道」なのでしょうか?
我が家の裏庭に、40センチ程の三角形をした石が置いてあります。その石を置いてから、かれこれ15年くらいにはなりましょうか? その「石」は我が家で飼っていた「犬の墓石」なのです。
犬が死んだ時、私は自分で棺を作りその中に、「我が家の家族写真」、「サラミソーセージ」、「歌舞伎揚げ」を入れて、犬と一緒に埋めました。
庭でその石を見る度に、「棺を作った時の光景」がありありと思い浮かびます。 私は「親や身内」の葬儀に際して「写真」や「思い出の品」を棺に入れても、「故人があの世で、それらの品を見ている姿」を想像する事ができません。 それなのに不思議な事ですが、「犬があの世で、家族と一緒にいる自分の写真」を見ながら、「昔の平穏な時代を懐かしんでいる」そんな姿が想像出来るのです。第一私は「あの世」を信じてないし、犬だって写真を理解出来るはずはないのです。でも私は、犬があの世にいる気分になるのです。その理由、良くはわからないけれど、もしかすると「犬を火葬にしなかったから?」、その為かも知れません。
我が家の犬は、「優遇」されませんでした。いつも粗末な餌しか与えられませんでしたし、芸は何も仕込まなかったので、いわゆる「バカ犬」でした。但し、近所迷惑を省みず、ほぼ「鎖を放した状態」で飼いました。私は、犬を自由に生きさせてあげたかったのです。「貧乏臭い」板の小屋が犬の住まいでした。ある日の事、その小屋を移動しようとした時です。犬は「自分の家」を持って行かれると思ったのでしょうか、如何にも悲しげな顔で、訴えるようにこちらを見ていた姿が印象に残っています。10才を過ぎた位の頃からでしょうか、「チョット老犬になったな」と、感じ始めた頃です。少し肥満気味になったので、カミサンは粗末な餌を更に減らしました。食事を一日一回にしたのです。そのたった一回の食事をあげるのを忘れる事がありました。すると、廊下を歩くカミサンに、縁の下から「自分の餌入れ」をカラカラと鳴らして、「夕飯を忘れてるよ!」、と言わんばかりに知らせたそうです。可哀相な事をしたものです。
私は「歌舞伎上げ」が好きでよく食べましたが、犬も好きでよく一緒に食べました。「サラミソーセージ」が大好物で、それを上げると夢中になって、噛まずに一気に飲み込むのでした。
犬がいつも食べていたのは「残飯」だったから、会社へ連れてゆくと、「会社で飼っていた犬」が「まずくて食べ残してあった餌」を、「我が家の犬」は「目の色を変えて、ガツガツと食べた」のです。それを見た社員が大笑いをしました。
14才を越えると、眼が白内障になって白く濁ってきました。歯も抜け出しましたし、黒い毛にはかなり白髪も混じってきました。
私が旅行に行く前の日、「犬」は座敷の掃き出しの敷居に、若かった頃のように前足を掛けて立ち上がろうとしました。でも、力が足りず立てなかったのです。軒下で力なく吼えていました。撫でてあげたら、嬉しそうに尾を振ってました。
その旅行に行った先で、私は何気なく土産物店の店内に掲げられた「般若心経」の「額」を読んでいました。その時です、カミサンから「今、犬が死んだ」と電話が来たのです。遠く離れてはいたけれど、私が経を読んでいる中で犬は死んだのです。何とも不思議な偶然を感じました。 前の日に撫でたのが最後となったのです。 犬は死ぬとき「ワ~ン」と一声だけ悲しそうに吼えたと、カミサンが話ていました。 それが、お別れの挨拶だったのでしょうかね?
旅行から帰った翌日、板で棺を作り、犬の体の上に「拡大した家族の写真」を置きました。それから裏庭に穴を掘り、線香を焚いて、丁寧に埋めました。子供達も立ち会いました。父親は寺に行って塔婆を書いてもらい、墓石の脇に立てたました。当時は、屋外で飼われていた犬が15才を越えるのは、かなり長生きな方だったらしいです。
カミサンとは、「粗食にして飼ったから長生きが出来たんだ。その甲斐があったね。」と話しをしてはいましたが、「もっと良い物を食わせて上げれば良かった」と、後悔をしました。 その後も、散歩に行く度に「可哀相だったね」と、その話をしました。
それからは、我が家で新たな犬を飼ったことは有りません。