当時の私は、木工事業の事だけに意識を支配されていました。 だからマレーシアに行く事は億劫でした。でも「事業を物にする為」には行かなければなりません。それって結構、「気が重い」のですよ。
「向うへ行って何にも楽しいことは無かったの? 一番楽しかった事はなに?」 ≫≫「一番良いことかい?そうだな、異文化の中に浸っていると言う、何とも表 現できない、不思議な気分に引き込まれた事かな~」
「いやそうじゃなくて、もっと心ときめく事だよ!そんな事って無かったの?」 ≫≫「そうだね、埃と油にまみれた男達が、唸りを上げる大型のバンドソーを自在に操る姿には圧倒されたよ。」「それから、合板工場で蒸気を上げて真新しいベニア板が出来上がるのを見た時、少し興奮したな!」
「じれったいな~、ばかやろう!」「そうじゃなくて、もっと良いこと無かったのか?と、聞いてるんだよ!」 >「いい事ね~。 あっ、そうだ! あった! 一つだけ!」
二十数年前のラウブには「カラオケ屋」さんが2件、映画館が1件ありました。当時、向うでは「カラオケ」の事を「カーリーOK」と言っていました。 一件目のカラオケ屋さんは、日本で言う「カラオケボックス」に近い形で、部屋の中央に幾つかのソファーの席があって、その周りにはガラス張りの小部屋がありました。客は、電話機で曲名をリクエストします。すると、端にガラス張りの「カラオケのオペレーションルーム」があって、「若いアンチャン」がその曲の入った「30センチのディスク」を探して、機械に掛ける。そんなシステムでした。 注文の飲食品はウエイターが持って来ます。ただし、「接客サービス」は無かったことを明言しておきます。
もう一つの「カラオケボックス」は、ステージがありました。そのステージでドサ廻りの歌手が歌うものでした。歌手は曲が変わる度に衣装を脱いでゆきました。でも、マレーシアは「イスラムの国」だからヌードは禁止です。だから水着になった所で終わりです。残念でしたね~。 しかし、客が「強く希望をすれば、歌手のテイクアウトも可能」との話でした。
クアラルンプールは大都会だから、日本以上に楽しい場所が有ったらしいけれど、こちら、経験がないので情報を持っていません。
私が勝手に「アンダー・ツリー・レストラン」と呼んでいた店で、大抵は友人達と夕飯を食べました。そのレストラン、「屋外の席」では生い茂った樹々の下で食事が出来ました。何を食べているのか良く解らない程、薄暗い場所でした。 そのレストラン(多分、他のちょっとしたレストランでも同じ)、ビールの販売はビール会社からの「派遣ウエイトレス」が行っていました。そのレストランのウエイトレスは「派遣」と言っても「地元の人」で、友人たちは皆んな彼女の自宅を知っていました。
私は何度もその店に行って食事をしていたので、段々と彼女と親しくなりました。他の席からの注文が無い時には、こちらの席の傍に来て話をしていました。私は彼女の名前を知らなかったので「ビアーガール」と呼んでいました。 後で名前を教わったけれど、マレーシア式の名前で覚えれませんでした。
何時ともなく友人達は、今日は彼女は店に出ているとか今日は休みだとか、私に教えてくれるようになっていました。何故わざわざ教えてくれたんでしょうね?
どれくらいの年月が経過したのか忘れました。ラウブに行ったある日の事、友人が私に、済まなそうな顔で「ビアーガールはお嫁に行った」と告げました。 でも私達は、その夜も「アンダーツリーレストラン」に行きました。 が、案の定、彼女はいませんでした。
ところが翌朝、私が一人でラウブの町を散歩していた時、「偶然」にも一人で歩いてきた彼女と、「歩道で出くわした」のです。 彼女もビックリ、こちらもビックリでした。昼間に彼女を見たのは、その時が初めてでした。彼女は少し、はにかんでるように見えました。 小さな町だから、噂は半日で広がります。噂には尾ひれが付くのは当たり前です。私は、彼女に嫌な思いをさせてはならないと思いました。 だから余り長い立ち話は出来なかったのです。ましてや「お茶飲み」など出来るはずもありません。 私は、彼女を歩道に立たせて写真を撮りました。彼女は私服でしたし、化粧も大してしてなかったと思います。撮影条件の良い場所だから、綺麗な写真が撮れていました。けれども、その写真が何処に行ったものか、いくら探しても見つかりません。非常に残念です。
それから、もう二十数年が経っています。彼女も歳を重ねているはずです。 子供だっているはずです。子供は大きくなり、もしかすると孫がいて、彼女は「おばあちゃん」になっているかも知れません。 彼女と永久に再会出来る事は無い、と思います。