栄枯盛衰

今回はラオスの話です。

ラオスには、いわゆる高級ホテルと言われる所は皆無に近いかも知れません。(例え有ったとしても、私には縁がないので情報不足で本当の所は解らない) そんな事を前提にして読んでください。ラオスのホテル(と言っても、ゲストハウスの域を出ない)の中で、私好みの宿が、「ラーカム」ホテルと「メコン・ムーン」インです。 

「ラーカム」ホテルは、ラオス北部のウドムサイ県の北東部の外れに位置する、「ムアンラー」と言うビレッジにあります。中くらいの川が、「ムアン・ラー」の村中を大きく蛇行して流れ、少ないながらも田んぼもあるし、かなり立派で由緒ある仏教の「寺」もあって、比較的豊かな村です。「ラーカム」ホテルは、その川が「U」の字を描くように曲がる外側辺に位置しています。この川はメコン川の「支流のまた支流」で、山中を蛇行しながら他の支流との合流を繰り返しながら、300Kmか400Km流れ下った後、「ルアンパバーン」でメコン川の本流に流れ込むのです。上流域部に位置するここ「ムアン・ラー」では、この川の幅は四、五十メートルくらいです。水深は比較的浅く、川の手前側の奥ゆき数メートルくらいは、深さは膝か腰くらいしかありませんが、川の半分より向こう側の水深は2m以上有りそうで、結構流れも速く薄緑色の水が流れていました。浅瀬の川底はスイカ程の大きさの丸い石が敷き詰められたように広がり、その大きな石の間には野球のボール大の石で満たされているような状態でした。私はこの風景を気に入っていました。以前、私は一度だけですがこの川に入りました。   

それは晴天の暑い日の正午頃の事でした。大汗をかき、へとへとに疲れていた私は、一人で短パン一枚だけの姿になって川に入ったのです。水は澄み切ってはいなかったけれど、手前側の浅瀬は水底が見える程度の綺麗さで、冷たくは無く水浴には丁度良い水温でした。私は用心の為、「危険」な流れの速い場所には近付かないように気をつけました。なので、水深が膝か腰程度の場所で川底の石を掴みながら、全身を「水草の心」にして、「流れに逆らわず、流されもせず」の姿勢で川に浸かっていました。水に浮かぶと流されそうなので、常に川底の石を頼りにし、同じ位置に留まっている事に注意を払っていました。

10分も浸かっていた時でしょうか、同じホテルに泊まっていた「夫妻」の「奥さんの方」が水着姿で川に入って来ました。50m以上離れていたので、顔までは見えなかったけれど、若くない事は確かでした。旦那は川岸で奥さんを見ていました。流されるのを心配していたのかも知れません。石の表面は黄土色の藻のような物が付いていて滑りやすく、油断出来ない状況だったのです。そうやって流れに任せて30分くらい浸かっていると、体の火照りが収まりました。   よろけながら滑る石の上を歩いて部屋に戻り、シャワーで体を洗い流しました。(ラオスのホテルは、何処でもそうですがシャワーには一応電気式の温水器が付いています)その時は、川で冷やした我が身に温水の温みが伝わって来て、心地よい気分で満たされました。この周辺は「リゾート地域」に指定されているのですが、10部屋程しかないこのホテルは、全室が川に面している平屋の細長い建物でして、どの部屋の前もコンクリートで固められたテラスが有り、その直ぐ前を川が流れていると言う「按配」になっていました。その夫婦は、同じ並びの幾つか先の部屋に泊まっていたようなのです。でもって、この夫婦以外、人の姿は全く見えませんでした。(時折、ロープも何も付けられていない放し飼いの水牛が、川原や部屋の直ぐ前の草むらにやって来て、草を食べていたけれど人間ではないですからね)

旅の疲れを感じていた私は、シャワーを浴びた後、部屋の窓とドアを開け放って風を入れ、素裸のままでベッドに横になって、川がせせらぐ音を聴いていました。体から疲れが「蒸発」して行くような感じがしていました。 が、その内にウトウトと眠ってしまったようです。「遠く響く川の音」だけが聞こえました。 洗い晒された古い木綿地のタオルケットとシーツ、粗末で素朴な調度品しかない殺風景な部屋、その上レンガ壁の古めかしい造りです。日本の「若い女性」や「都会派の人達」だったら「見向きもしない」と思える、そんなホテルでした。でも私にとっては「癒しの空間」であり「快適な空間」でした。

そんな事があった翌朝、そのホテルの「レストラン」で食事をしました。レストランと言っても、部屋から200m程離れて同じように川の前に在る、屋根だけの吹き抜けの建物です。そこの朝食は毎回同じでして、「コッペパン」とバター、ジャム、あとは目玉焼きと牛乳、時々はオレンジジュース、それから果物とコーヒーでした。涼風に吹かれながら川を眺めて食事をしていたら、昨日の夫婦もレストランに出向いて来ましたので、粗末な英語で話をしました。彼と彼女はフランスから来た人のようでした。旦那は学校の教師をしていたけれど、数年前に退職した後、世界のあちこちを旅する事を趣味にしているとの事でした。ラオスは非常に気に入った国で、過去にも何度か訪れたと言っていました。旦那が私に、「昨日は水浴びをして気持ち良かったろう!」みたいな事を言っていたので、こちらも「あんたも一緒に水浴をすればよかったのに!」みたいな事を言って笑い合いました。彼は「今日は川の向かいの道を徒歩で辿って、そこの奥にある集落を訪ねるのだ」、なんて事を言っていました。「そうか!それが西洋式の楽しみ方なんだ」と思うと、日本人である自分の「せせこましい体」の中にある、何とも言いがたい「惨めっぽさを秘めた姿」を想像してしまいました。

ところで、このホテルの「オーナー」なのか「管理人」なのか分かりませんが、何度か私を迎えてくれた「彼」、本当に親切な人だと感じました。朝食をテーブルに運んでくれた時の「物腰の柔らかさ」や、何度かあったのですが、こちらからの質問にも丁寧に答えてくれた時の「応対のし方」もそうでした。最初に訪れたとき、部屋で「WiFi」を使いたいが電波が届かないと言えば、この受付事務室を夜間でも使用できるようにしておくとか、「ポケットワイファイを貸して上げる」とか、飲む水は足りているか?とか、その気配りに対し大いなる感謝の念を抱きました。

ところで、今年もそのホテルをネット予約しようと試みたのですが、何度やっても「予約が取れた状態」になりませんでした。私は、ネット回線がトラブルでも起こしているのだろうと考え、予約無しで行くことにしました。そして自分の作ったスケジュールに従って、そのホテルを訪れたのです。

しかし、今年はどうも「様子が変」でした。そこには人が全くいないのです。以前は同じ場所に立った時、そのオーナーらしい人が笑顔で迎えてくれたのに、その時は迎えてくれる人の姿が全く見えなかったのです。今日は休業日なのか?と思って、事務室の前まで行きました、ところがドアには鍵が掛かっていました。事務室の横には車が駐車してあったので中には誰かいるのかと思って、ガラス越しに中を覗いたのですが、中は荒れていて物が散乱していました。改めて見ると、ドアには紙が張ってあり、ラオス語で何か書いてありました。でも全く読めません。私の想像では、このホテルは「閉鎖」したと書いてあったのだと思います。これも想像に過ぎませんが、このホテルは「倒産」してしまったのです。 以前もそうでしたが、このホテル「客が極めて少なかった」ようです。何も解らない私は、「ラオスではこの程度の客しか来なくても十分にやっていけるのか!」、と思っていたのです。でも何処の国だって事情はそんなに違うはずはありません。私は事務所を覗いた後、奥まった所にある、何度か泊まってたので「勝手知りたる宿の部屋」の前に行ってみました。周りの草は伸びていて、侘しささえ醸していました。急に、あの親切だった「彼」に合いたくなりました。 けれども、問い合わせる手段は何もありません。あんなに親切な対応で客をもてなしてくれてたのだから、「昔はさぞかし繁盛した」のだと思います。しかし、世の中の評価は厳しく、「客足が遠のく力」には勝てなかったのです。

何故か、私はこの出来事に「自分の姿」を重ねて合わせてしまいました。こちらの側が、どんなに「思いを尽くし、誠実に社会に接した」としても、「社会ニーズにマッチ」しなければ、結局は「世の中から無視され、消えて行く運命にある事」を実感しました。現代の世の中は、「例え『実』が無くても、綺麗で体裁が良いもの」、「面倒がなくて簡単に楽しめる事」、「ネットへの投稿で写真映えする場所」、「宣伝が行き届いて、誰もが知っているブランド品」このような事物でなければ、受け入れられないのかも知れません。

窓越しに撮った部屋に漂っていたのは、侘びしさばかりでした。