「化石燃料発電」「原子力発電」「自然エネルギー発電」、その1

私は時代の流れについて行けなくなったようです。いやついて行けないのではなくて、「時代の流れについてゆきたくない」が正しい言い方かも知れない。  こんな感情を持つ人って結構多いのではないでしょうか? 『21世紀』は夢のような時代になる、こんな事を「20世紀の終わり頃」評論家や学者が盛んに言っていたような気がします。でも蓋を開けたら「何とも変な時代がやって来たものだ」、こう感じるのは私だけではないはずです。

世の中から「人情」と言うものが薄れて行きます。会話が消えつつあります。隣にいる人ともスマホでメールのやり取りをします。自分で考える事を停止してしまい、何でもかんでもスマホで調べます。借り物の知識だから身についていない、直ぐに忘れてしまいます。忘れたらまた調べればいいのです。人間関係が浅くなり、表面ばかりの付き合いになって行きます。その方が面倒が無くて良いと思っている人が、どんどん増えています。そんな事がある「現象」にすら関心を持たないのですから、何という世の中なんでしょう。

世界中で内戦が起こり何百万人もの難民がさまよっています。色々な理屈をつけて、「専門家」と言われる評論家が「テロが起こる背景」を説明していますが、そんな説明が何の役に立つのでしょうか? 現にテロ事件は絶え間なく起こっていますしね。 そして日本では、いわゆる「愉快犯」と言われる、単なる嫌がらせとしか思えない悪質な犯罪である、「放火」や「器物の損壊」が横行しているし、理由がないのに他人を傷つける、「気晴らし殺人」が毎日のように報道されています。「愉快犯」は例え軽犯罪であったとしても、重罪人として扱うべきだと、私は考えます。

その上に世界中で、復旧する間も無いほど頻繁に自然災害が次々と発生しています。これ等が「20世紀に語られていた未来像」とは余りにもかけ離れている、「21世紀の現実の姿」です。

自然災害の中でも、「地震」や「火山の噴火」は地面の下の出来事、人間の力ではどうする事も出来ない現象ですが、「巨大台風」「大干ばつ」「森林火災」「大洪水」「猛暑」は、「人類の驕り」に起因している処が大きいのでは、と私は考えています。近代文明は化石燃料を大量に使用する事で築かれて来ました。

ところで、日本では原子力発電「反対」の大合唱があるにもかかわらず、私は「原子力発電賛成論者」の一人です。何故なら「原子力発電」がもたらす「不幸」よりも、「化石燃料発電」がもたらす「不幸」の方が「遥かに大きい」と考えるからです。

江戸時代のように電気も自動車もなく、人の糞尿まで商品として取引された「高度のリサイクル文化」、そのような「生活様式」を現代に呼び戻す事が可能ならば、それも良いでしょう。私もそんな不自由な生活に憧れを持つこともありますが、実際にそんな生活をしなければならないとしたら、私は一日だって耐えられないと思います。だから素朴で質素な「超リサイクル社会」なんて世界は、憧れに過ぎず、机上の空論に終わる事でしょう。

次回に続きます。