無謀なる挑戦

私は無謀な挑戦ばかりしています。「無謀なる挑戦」とは出来そうもない事に挑む事ですが、それは若い頃からの私の一種の「癖」です。これは単なる癖だから、「何故そう言う事をするのだ?」と言う問いには答えようもありません。 でも、私は目の前に立ちはだかる「難しそうな事柄」にぶつかると、反射的にアドレナリンが噴出して来て興奮状態に陥るような気がします。この一見「出来そうにもない事」に挑む事は、自分の好奇心を満足させ、小さな生き甲斐にさえなるような気がします。

私がまだ若かった昔は、主に仕事に関わる事で「無謀なる挑戦」を何回もしました。思い返せば優に20種類くらいの仕事に挑んで来ました。まだ二十歳代前半の電気会社に勤めていたころ、私は「送信機」の設計をしていました。約45年前当時、「船舶用の送信機」には「リレー」なる電気部品が沢山使われていて、無線機を操作すると内部でリレーの動作音が「ガチャガチャ」としていました。私は「音のしない送信機」を作りたいと思って、上司に申し出たところ、「じゃあお前がやってみろ!」と言われその気になって挑みましたが、なかなか上手く行きませんでした。私は、本当に未熟でした。リレーを使わない事には、原理的な無理があるのを知らなかったのです。それが技術屋としての苦労の始まりでした。(現在は無線機を操作しても、送信機の中で「ガチャガチャ」なんて音はしないのは当たり前になっているのにね)

その後、家業の「高圧ガス関連の仕事」に就いたのですが、そこでも「無謀なる挑戦」は収まりませんでした。防災関連の仕事で「防油堤」なるものを設計し施工もしました。ガス関連の仕事には違いなかったけれど、これは「土木の分野」の仕事です。地震でガスタンクが破損した時、タンクから漏れ出たガスをタンクの下に止めて置く「枡状の堤」の建造です。二社から受注し、工事もしました。消防署の検査を受けたりして、大変な苦労をしました。「ディズニーランドの仕事」などイベント関連の仕事も本業とはかなりかけ離れていました。これは「炭酸ガス」を使うと言う事だけがガスと関係した仕事なのです。アメリカに行ったのは「飛行船」を作る為でした。本業と多少関係していた部分は、「飛行船を浮かばせる」為に「ヘリウムガス」を使うと言う事だけでした。マレーシアに行って「木工事業」に挑戦したり、ドイツに行ったのは「資源のリサイクル装置」の開発に挑戦したからです。まだまだここでは取り上げ切れない程、色んな事に挑戦して来ました。現在はラオスに行って、「薬草のお茶」を作る「ハーブティーバッグ」の製造販売に挑戦しています。挑戦したビジネス全てで、「一応の完成」は見ましたが「成功とは言い難い」ものばかりです。全く利益に結び付かなかったのです。製品として完成はしたものの「商品としての完成度が低いのと、コマーシャルが出来ない」為に、販売まで漕ぎ着ける事が出来なかったのです。周りから、「お前のやっている事はビジネスでは無くて、単なる道楽に過ぎない!」痛烈な批判を浴び続けました。「私には私なりの理屈」があって反論はしたものの、「大きな金銭的損失を残した事実」は認めざるを得ませんでした。

これらの事は業務の上の話ですが、最近は「仕事の最前線からは退いた」ので、もう少し「趣味」に類する事に挑戦しています。しかし、これらの事だって「無謀なる挑戦」には違いありません。約半月程前からですが、「編曲」、言葉を変えるなら「曲のアレンジ」に挑戦しています。「音楽の基礎知識を全く持っていない身」でありながら、編曲に挑戦などとは「馬鹿な事を始めたものだ」と嘲笑われそうです。きっかけは、私が数年前から「ハーモニカ演奏」を習い始めた事にあります。そのグループ内の仲間内で、お粗末でも「素人バンド」を作りたい、との意見がまとまって練習を始めたのです。ところが気が付けば、世の中には「ハーモニカの為の合奏用譜面が極めて少ない事」が解りました。「世の中に無いものは、自分で創るしかない」、これも私の信条の一つですが、この信条と「目の前に立ちはだかる壁に立ち向かいたい、と言う挑戦意欲」が重なって、どんどん願望が大きくなりました。そしてついに、「編曲」に挑んだという訳です。実は、ずっと以前からの事ですが、私は「プロの編曲者」の素晴らしい感性と、仕上がった音楽の出来栄えに触れた時、「さすがは専門家だ!」と、その「アレンジ」の面白さと、その「偉大」さに感じ入って来ました。「自分も編曲の真似事をしてみたい!」、そう思ったらもう「歯止めが利かなくなる」のです。これが私の「癖」なのです。私は色んな音楽のレコードを聴く度に、メロディー(主旋律)よりもむしろ伴奏の方を聞き取ろうとする傾向が強いのですが、プロのアレンジでは、曲のイントロが始まると様々な楽器を動員して、まるで「脇役」が「主役」を引き立てるように、メロディーを伴奏が飾り上げます。私はその伴奏に聞き入ってしまうのです。

では私が編曲したものはどうでしょうか?

やはり未熟の感は拭えませんね。でも、私には気の利いた旋律がなかなか思い浮かばないのです。残念ながら時間をかけた割には「ダサイ」曲にしかなりません。でも、私自身は「自己満足」する事が出来るのです。この曲のアレンジは、「世の中にこれしか存在しないのだ」と思うと、「ダサイ」アレンジでも、楽しく聞けるからです。このアレンジの曲を仲間内の「お粗末なバンド」が演奏出来るようになるのは、いつの日の事でしょうか?