安心感が欲しい

今年の「防災の日」は9月2日でした。「地震、カミナリ、火事、オヤジ」恐いものの代名詞から「オヤジ」が外されて久しくなったけれど、最近は「地震」「洪水」「台風」「火山」でしょう。毎週、まるで日替わりメニューのように自然災害のニュースが繰り返されています。今夏はそれに加えて「猛暑」が自然災害に加えられました。事によったら、この冬は「豪雪」も仲間入りするかも知れません。と言っても豪雪地域の話ではなく平野部(都市部)に降るかも知れない大雪の話です。このように、日本は世界に類を見ないほどの「災害列島」です。

この日は「あちら、こちら」で行われた防災訓練の模様がニュースとして流されましたが、我が地域でも「避難所運営委員会」なる組織の催しが有り、防災への備えが検討されました。私は「自治会長」の立場ですので参加を余儀なくされました。我が地域の避難所に指定されているのは小学校、この避難所の想定受け入れ可能人数は1000名です。それに対して避難対象となる戸数は約2000戸、住民にすれば約5000名です。ところが、原則として「避難して来た人全員」を受け入れる方針ですので、帰宅困難者を含めると対象は優に10000名を越えるかも知れません。そうなると受け入れ可能人数の10倍です。とても対応できるとは思えませんでした。ですから、私は当所この「避難所の運営計画案」には反対でした。だもので、運営委員会への出席も渋々了解した訳です。

実際、運営委員会の会議をサボってしまう事も出来たけれど、「物事を先入観で判断してはならない」、これは私の信条の一つですので、とりあえず出席してみました。でも、結果的には参加して良かったと感じました。それは、「盆踊り大会」の開催準備のときにも感じた事ですが、参加者はどの人も熱意を持っていました。その姿に接する事が出来たからです。皆さん、小学校の体育館で作業する事に労を厭わなかったのです。私には「ボランティア活動」など出来ようもありませんが、「このような人達がボランティアをするのか」と、その時思いました。またしても、「世の中捨てた物ではない」を実感したのです。

ところで本題ですが、災害が発生する度に「自衛隊」や「消防隊」「警察隊」が出動して救難・救護活動や災害の復旧活動をしているニュースが流されます。その後を引き継ぐように、「ボランティア」が活躍している姿が映し出されます。こちらは茶の間で見ているだけしかしないので、全く「安易」です。それに比べたら現場での悪戦苦闘は想像するだけで身が引き締まる思いがします。自衛隊員はそれが「任務」だから、と言ってしまえばそれまでですが、現地の受難者にしてみたら、彼等は力強い「神様」のような存在に見えたのではないでしょうか? ボランティアの働きだって同じです、その人達は自由に楽しめる自分の休暇をつぶして、「人の為に尽くしている」のですから。

今回の自民党総裁選に立候補している「石破」衆議院議員が、「これからは『防災省』?のような組織の設置が必要だ」と訴えていましたが、私も同感です。 国家間の対立に関わる問題は「防衛省」が担わなければなりませんが、「自然災害」に対処する為には独立した「別組織」が必要だと思います。私は「徴兵制度」には絶対反対ですが、「災害復旧隊」への「入隊義務化」は必要だと思っています。

「防災省」組織の中に「災害救難隊」と「災害復旧隊」を設置しますが、「救難隊」は自衛隊と同様に「志願」によるものとします。大きな危険を伴う「命がけの救難活動」は、長期間の専門的な訓練を受けている隊員でなければ「到底無理」だと思います。けれども、災害が発生してしまった後に行う「復旧作業」は、大きな危険を伴うものではありません。ですので、「国民の義務」として「召集」された人達で構成される「災害復旧隊」が補完する事とします。

私の考える所は、成人年齢に達した全日本国民に、一定期間(2年程度)「災害復旧隊」に在籍する義務を負わせるのです。但し、身体的、精神的な障害がある人は症状に応じて設定した、別の制度を設けます。障害の無い人は、18歳から約40歳までの間の約20年の内、2年間程度を在任期間とします。つまり全ての国民は、一生のうち約2年間は「災害復旧隊員」として働かなければならない事として、義務化をするのです。ただしこの約2年間の勤務は、連続して行う事だけではなく、数回に分割して従事する事も可能とします。「災害復旧隊員」には、最初の約1年間に「教育と訓練」を実施します。次の約1年間は、災害現場へ出動して「復旧活動を行う義務」が課せられます。なお、この「災害復旧隊」での在任期間中は、「国家公務員として待遇」し「給料」が支払われます。つまり、「ボランティア活動」としてではなく「プロの災害復旧隊員」として待遇される訳です。ですので、「プロ」である彼氏等や彼女達には、当然のこととして、「気にそぐわない辛い復旧活動」も拒否する事はできません。この「災害復旧隊」の組織としての役割は、災害復旧作業の「補佐役」(主役は災害救難隊が担うし、自衛隊、消防隊、警察隊も主要な活動をする)として重要な位置を占めるばかりでなく、活動を通して「きちんとした人間関係」を構築する為の訓練にもなるし、「自立心」や「社会性」を養う貴重な体験の機会にもなります。従って余程の事情が無い限り、就任時期は十代、二十代とした方が良いでしょう。

このように「災害復旧隊員になる事は国民の義務だ」などと記述すると、「自由主義」を唱える人達から「強い批判」を受けるかも知れません。しかし、逆に私はその方々に、「自分達の安全と社会の秩序は、誰によって確保されていると考えているのか?」と問い掛けます。「安全や安心」は自然に生まれてくるものでは無く、「一部の人の大変な努力と苦労」によって作られているのだ、と私は思っているからです。「自然災害からの復旧の苦心や苦労を、なるだけ多くの人で分かち合って行くのは当然の事」だと考えます。

私はこのような構想を抱いていましたので、「町内会の集まりで行う防災活動」には大した意味を感じていませんでした。でもその感覚は誤りだったように思います。結果はどうであれ、「地域の人々が助け合って自然災害に立ち向かう意識」こそ重要だと考えました。