昭和20年8月15日、昭和天皇のいわゆる「玉音放送」があり、大東亜戦争が「敗戦」となった事が国民に伝えられました。正式な終戦はその半月後でした。日本が無条件降伏した後なのに、ソビエト軍は千島列島を守備していた日本軍を攻撃して来たのです。日本軍はこの地域はでは「まだ兵器を温存していた」ので十分な戦力があったにも関わらず、反撃することを禁じられていました。この列島では、夏が過ぎてもまだ戦争は終っていなかったのです。この事実を作家の「浅田次郎」が小説『終らざる夏』として作品にしました。
今年は「残暑見舞い」の季節に入っても、まだ盛夏が続いています。気象庁は相変わらず酷暑を予測し、まだまだ夏は終わりにならない予報を出し続けています。でも、「私の夏はようやく終了した」の感があります。この夏、私は忙しい日々を送りました。元来、私は直射日光に弱い体質ですが、それでも幾つかの「炎天下でやらざるを得ないお役目」があって、無理をしました。その為でしょうか?熱中症になってしまいました。吐き気がし、横になって体を冷やさざるを得なくなったのは一回だけですが、何度か寸前のところまで行きました。何度も同じ轍を踏む「愚か者」になりたくなかったので、寸前で休憩を取り、助かりました。こうして、私の夏は過ぎ行き、屋外で作業をするような「お役目」は終りました。 だから、私の夏は終ったのです。
我が邦の地域で開催される「盆踊り大会」、その実行委員を務めること、それが私にとって、この夏一番のお役目でした。もっとも、私は「新米の下っ端」だから指示されるままに動いただけなのですけれど。中には、その仕事を20年も担っている人が結構いるのです。たいしたもんです。
私も「若い頃」は、様々な「夏のイベント」に参加し、よく動きました。でも、当時は熱中症なんて考えもしませんでしたし、具合悪くなった事も有りません。 振り返れば、ディズニーランドが「グランドオープン」したその年の夏、「レーザーショー」と言われたイベントが始まりました。これは夜間のパレード、「エレクトリカルパレード」の前身です。私は「特別効果係」スタッフの一員としてシンデレラ城などの屋根に上って、悪条件下での作業をしました。それからもうひとつ、これも二十数年前になりましょうか、幕張メッセの浜で行われた「都市緑化フェアー」では「飛行船」を作り、フェアを盛り上げる役割を担いました。
どちらも「真夏の約一ヶ月間」のイベントでした。「ディズニーランド」でも「幕張メッセ」でも「風」との戦いでした。風速が3、4メートルになると、もうどうにも制御が効かない状況なのに、海岸だから直ぐにそれくらいの風は吹きました。しかし、「上手く行かなくて、恥をかく事を覚悟の上」で、実行せざるを得ませんでした。本当に苦労の連続でした。でもお陰で、今ではそれらの事が私の「語り草」になっていますし、「数少ない自慢話」でもあります。その仕事、「設計」やら「機器の試作や製作」やらで、数ヶ月も前から準備作業に入ったのです。だから、その年は日焼けで真っ黒になった上に3、4キロは痩せました。やはり若かったのですね、それとも「苦難」続きで「緊張」していたせいでしょうか? そのイベントが終るまで、私が倒れることは有りませんでした。
ところで、「中小企業家同友会」と言う全国組織が有りますが、私は三十数年間、千葉県の会員として在籍しています。昔、その組織で「納涼大会」なるものを数回やりました。ある年、私は「納涼大会の企画係」を担当しました。だもので、初夏から約1ヶ月間くらいは、「仕事を投げ出し」て準備をしなければならい羽目になりました。
さて、今年、盆踊りの準備をしていた時、昔の「納涼大会」の準備作業と、今年の「盆踊り大会」の準備作業、「現場の雰囲気がよく似ている」と感じました。どちらも「きつい肉体作業」でしたし、大勢の人が関わる「共同作業」だったのですが、「文句をつける人」や「愚痴を言う人」は皆無でした。全員が、「そのイベントを楽しみにして集まってくる人々の事を想像しながら」、和気藹々と体を動かしている様子でした。(そんな中で出来た人間関係は未だに健在です)
「納涼大会の当時」、私の歳は「四十代前半」で、「今年の盆踊り大会」では「七十歳」になりました。その間、時間としては三十年近い隔たりがあります。なのに、皆さんが一緒になって作業する雰囲気は、どちらも同じだと感じたのです。盆踊り大会の準備作業を手伝っている人には、四十代の人も大勢いて力強く働いていました。
機敏に動くその姿は、まるで「若い頃の自分」を見ているようでした。「俺も年取ったもんだ」そんな事を考えると、感慨深いものがありました。
世の中「世知辛く」なっていますが、「ボランティア活動」などを含め、このような、人の為に「労力を惜しまず、汗を流す様子」に、爽やかさを感じます。
この飛行船、今でも倉庫の天井にたたんだ状態で在ります。記念の品物です。