『盆』

昔は楽しい事の代名詞のように言われていた「盆」と「正月」。特に楽しみが大きい時は、「盆と正月が一緒に来たようだ!」と、こう言ったものです。それが今では、「盆」も「正月」も「ちょっと長い連休の期間」でしかなくなってしまいました。テレビではおざなりに盆の様子を流していますが、帰省ラッシュとか、高速道路の渋滞とか、気の抜けたサイダーみたいな話ばかりです。日本が豊かになったせいなのでしょうかね? 言い替えれば「一年中、盆と正月が来ている様なもの」となるのでしょうかね? 私の中に、「これでいいのか?」と強い疑問と懸念とが入り交ざった感情が沸き上がって来ます。

ところで、我が家は今年も大きな支障を抱える事無く、迎え盆の準備をする事が出来ました。「我が家」と言っても、実際に盆の支度をするのは私とカミサンの二人だけなのです。私は古いタイプの人間だから、なるだけ昔のままの形で盆の行事を迎えたい方ですから、自分が準備をするのは当然の事だとは思います。 でも、カミサンはクリスチャンだから盆の行事とは無関係のはずです。もっとも、私も仏教を信仰しているわけではないので、盆が仏教的にはどんな意味を持っているのか、先祖の霊が返って来るのを迎える日、位の事しか知りません。ただ「伝統を絶やしたくない」、そんな思いでいるだけです。ところが、私より仏教から遠い位置にいるはずのカミサンですが、毎年熱心に迎え盆の支度をしてくれています。私よりも遥かに盆の行事について詳しく知っていて、こちらが忘れている事を指図するのですから、カミサンにはちょっと頭が下がります。お寺に「盆供」を持って行きなさいとか、早く「墓掃除」をしないと近所の人に笑われるとか、花を注文したかとか、明日は朝早く墓に行くんだからね、とか毎年尻を叩かれているのです。

私は、「今やろうと思ったのに」と言い訳をしながら、今年も仏壇の棚吊りをしました。父親が亡くなる前から私は棚飾りをしていたので、私がやるようになって、もう15年位にはなります。別に誰かに教わった訳でもなく、見よう見まねでやっているだけですが、大体は昔と同じような形にはなっていると思います。

私が行う棚吊り作業ですが、まず仏壇から全ての位牌を出して濡れ雑巾で拭う事から始まります。毎年の事ですが位牌を拭いている時に、我が家の先祖が確かにいた事を意識します。子供の位牌は薄い板に戒名らしき名前が書いてあるだけです。その板が実に多いのです。恐らく子供のまま亡くなる先祖が多かったのでしょう。我が先祖には特別に偉い人がいた訳でもないし、立派な位牌がある訳でもありません。ただ古いだけの事です。古くて文字が薄くなり、読めなくなっている位牌もあります。興味深いのは、時代時代によって「この先祖の時、きっと貧しかったに違いない」とか、「この先祖の時はちょっとは余裕があったらしい」とか、位牌の質で解ります。ただの板切れみたいな位牌もありますからね。だだし大昔我が家の隣の寺が火事を出し、我が家も燃えてしまったらしいのです。だから、結構古い墓石はありますが、それ程古い位牌は無いのですけれど。 そんな事を考えながら丁寧に位牌を雑巾で拭いていると、「こんな事をするのも、自分の代で終わりか」のような「感傷じみた思い」が浮かんできます。  我が家の、「倅も孫も」こんな作業には全く興味が無いので、目もくれません。 

棚吊りの話の続きですが、それから、庭の草花を摘んで来て仏壇を飾り、燈篭を組み立て、提灯のとロウソクの支度をします。そして、最後にカミサンが仏壇に花を供えて「迎え盆の準備」は終わりになります。

その後は、いつもの休日と変わりません。お茶飲んで一休みして、「今年は隣近所では、棚吊りをどうしたんだろうか?」とか、そんな話をした後で、「何時までこんな形の『盆』が続けられるんだろね?」と、ひとしきり喋ったのも去年と同じでした。