思えば遠くへ来たもんだ

昔、「海援隊」が歌った唄に「思えば遠くに来たもんだ」と言うのがありました。この歌詞の概要は、ある少年「T」が14歳の頃、線路脇のコスモスを揺らして走る貨物列車が作る「レールの響き」を聴いて、遠くの世界に夢を馳せていたのです。少年は二十歳になって失恋し、遠くの世界に旅立った。そして家を出てから三十年が過ぎ、今では妻子を持つ親父になった。そしてその主人公は、昔を懐かしみ「思えば遠くへ来たもんだ」と静かに歌う。そんなストーリーです。

最近、我が家で「昔の話」をした時よく出る言葉、「あれから、もう30年位は過ぎたかな~」です。 以前は、「10年前の話をしている年寄りを馬鹿にしていたのに、今や30年前の話を平気で昨日の事のように話してる。俺たちも年をとったもんだな~」なんです。我がカミサンとの縁が出来て、はや50年が過ぎました。だから、30年前の話なんて「新しい」部類に入るのです。ほんとに、遠くへ来たものです。

これまでで、私が行った距離的に一番遠い場所はモロッコだと思います。そして距離的には半分しかないのに、所要時間として一番遠い場所は「ラオス」です。

でも「心理的な時間軸で、現時点からの遠さで」考えると「マレーシア」です。今でも鮮明に残像として残っているのはマレーシアの「フレーザーズ・ヒル」という山の上です。当時その山頂にはヨーロッパ風の小さな町がありました。  今なら山裾の国道から1時間半もかければ行けますが、当時は遠かったのです。そこまでの道は、時間帯によって「上り専用の時間、下り専用の時間」となるような場所もあって、狭くて曲がりくねった砂利道の悪路でした(今は細いながらも舗装されているし、対面通行が可能)。その頂上から20分程下った所に、落差が5m位の小さな滝があります。滝は、池のようで滝壺とは言えないくらい小な円形の水盤に落ちていました。水は茶色に濁っていましたが、山の土が混ざったもので不潔ではありませんでした。そのプールのような水盤で、数人のインド人家族が水浴をしていました。私は友人に、自分も水に入りたいとせがみ時間をもらいました。そしてシャツを脱ぎ、下は短パンのままその池に入りました。

水は冷たくなかったし、滝のしぶきも程良かった。仰向けに浮かんだ水面から眺めた上空には、鼠色の雲が薄い水色の空を背景にゆっくりと流れていました。まことに快適な水浴が出来ていました。その時、私は水に浮びながら不思議な感覚に陥っていました。すぐ近くで色の黒い子供達の声が響いているけれど、何を言っているのか全く解らない。この場所にいる日本人は自分一人。ここは赤道直下、マレー半島の真ん中付近。今ではインターネットで簡単に地図が見れますが、当時の世界地図には、こんな場所は載っていません。不思議な感覚とは、自分がこの場所にいる事をどうしても実感出来なかったのです。それでも、私は確かに濁った水に浮かんでいて、周りには知らない言葉が行きかっていたのです。地球儀で見れば赤道付近の極小の点よりもっと小さい点なのに、何故か自分がそこにいるのです。その時です、私は「遠くに来たもんだ」と心底思ったのです。それまで、海外なんてテレビで見るもので、自分が赤道直下の滝つぼで泳ぐ時が来るとは想像もしていませんでしたからね。 極小の点でしかない自分、孤独な日本人はそこにいるのです。今だに、その30年前の不思議な感覚が蘇ります。「思えば遠くに行ったもの」です。そしてその出来事は、現在では「本当に遠くなった」のです。

カミサンにその話をすると、「その話はもう何十年も前から、何回も聞いている!」と愛想の無い返事が返って来ます。こっちもヘソを曲げながら、「たった30年しかたってない話なのに!」と反論すると、「フン!」と鼻で軽くあしらいます。「畳」と「何だか」は新しい方が良いと、大昔から言われてますよね。      いやはや、思えば遠くに来たもんです。