最近、私は大した努力をしている訳でもないのに、日常生活は平穏無事に過ぎてゆきます。大きな心配事も無いし、周りとのトラブルが有る訳でもありません。こういう状況って良い状態なのでしょうか? 努力無しで得られる「平和」や「幸福感」、こういう状態は長続きしない感じがします。
自然界の揺らぎ、水面の波、小川のせせらぎ音、季節の移り変わり、砂丘の風紋、潮の満ち引き、・・・自然界は揺らぎに満ちています。周期的に繰り返すから延々と続くし、「安定」がもたらされるのです。 人生に於ける揺らぎ、それは「苦と楽」です。「苦」があるから「楽」に価値が出ます。もし「人生が楽だけ」だったなら、多分その「楽は苦に変わってしまう」でしょう。「楽」の次には「苦」が来ます。だから「楽」状態にある時、人は不安を感じるのだと思います。次には「苦」が来ると感じているからです。
近頃「達成感」を感じる事が殆どありません。ところで、「達成感」は血の滲むような「努力」をしなければ得られないはずだから、「達成感が無い」というのは言い換えれば「努力をしていない」という事になるのです。最近の私は「自分は努力不足だ!」の感を否めません。努力をして何かを成し遂げようと考えた途端に、「努力を続けたら、どんな良い事が起こるの?」そんな思いが湧き上がって来ます。若い頃はそんな風では無かったから、これも年のせいでしょうか?
何かをしようとすると、「暑い、暑い、もう嫌だ」と思う反面、「社員の皆さんはこの異常な暑さの中、文句も言わずに頑張ってくれている」そんな自分の内心からの声が「罪悪感」となって迫ってきます。こっちは冷房のある部屋の中にいるのに、向うは天然暖房の工場なのです。しかし、会社をもっと良い作業環境にしたいと思っても、「我が社のような中小企業、手の打ちようが無い」これが現実です。「大手企業、夏のボーナスが過去最高!」こんな報道はさせたくない!
努力で解決出来る限界を越えている「昨今の社会情勢」が、「少々頑張ったくらいで良くなろうなんて、甘い!甘い!」と、あざ笑わっているように思えます。自分が努力不足の感覚に陥っている原因は、単に「年のせい」だけではないかも知れません。