義理と人情を秤にかけりゃ~、義理が重たい男の世界~
「高倉 健」が歌った「唐獅子牡丹」の歌詞の一節です。この歌を、私の「小学校時代からの友人」が、酒を飲んだ時によく歌ってました。酒が好きで、「酒癖が悪くて」どうしようもない奴でしたが、学校時代は級長でした。その彼が、足掛け5年前、突然亡くなってしまいました。残念で悲しい出来事でしたが、酒が遠因の脳梗塞でした。
彼は時々、夜のかなり遅い時間帯、会社帰りに酒を飲んだ足で、我が家へ、蘇我駅から自転車を引いてフラリと来ました。彼は東京の会社に通っていました。我が家には酒がない事を知っていたので、彼は持参した酒を「手酌で飲み」、ひと仕切り「くだを巻いて」から、また自転車を引いて家に帰って行くのでした。彼の背中には、「網走番外地」を連想させる「哀愁」が漂っていたような気がします。ある晩、酔って帰る時、彼は我が家の庭で石につまずきました。転んだ上に酔いが回り、立ち上がれなくなってしまったのです。私は、無理やり自転車を家に置いて行かせ、車で彼の家に送って行ったのでした。私は時々、そんな事があった彼を懐かしく思い出しては、しんみりとした気分になってしまいます。
その彼は、「網走番外地」の歌もよく歌っていました。どうして彼がこの手の歌が好きだったのかは解りません。彼は典型的な「マイホーム主義者」だったからです。それなのに、どういう訳か、任侠物」が好きだったのです。
ところで「義理と人情」はどっちが重いのでしょうかね? 「義理と人情」は「日本人特有の感性」から生まれたものなのでしょうかね? 考えてみると、昔から日本人は「人情話」が大好きだったようです。 江戸時代に「近松門左衛門」が書いたとされる「浄瑠璃や歌舞伎」は、110作品も有ったようですが、そのうちの四分の一くらいは「世話物」と言われる、「義理と人情をテーマにした作品」らしいです。
「人情」と言うのはスンナリと「我々の気持ちの中に入ってくる」気がしますが、「義理」となると「そう簡単には受け入れられない気分」になります。 それは何故でしょうか? 私は、「人情」は「人の内なる思いから沸き上がって来る感情」だと考えています。 それ対して「義理」は「人と人との関係、貸し借りの関係から生まれてくる状態」だからではないか、と考えています。 言い換えれば、「自分の意にそぐわなければ行動しなくて良い『情理』が『人情』」であり、「自分の意に反しても、状況によって行わなければならない『条理』、それが『義理』」ではないかと考えます。社会生活を営む為にはどちらの事も、大切であり必要だと思います。
任侠物映画では、時々「網走刑務所」が舞台となります。正に「網走番外地」です。私は先日、「網走監獄」に入ってきました。でも無事に出て来れました。何故なら、そこは博物館になっていたからです。
この「監獄」は明治14年に、懲役が12年以上の「重罪人」を拘禁するために、「集治監」として建てられました。発足時の囚人数1392名、その内の3割以上が無期懲役囚だったとのことです。死刑囚は含まれていなかったようです。
明治23年、明治政府は北海道の中央道路の開削工事を急ぐために、「釧路集治監」から網走に囚徒を大移動させました。当時、極東方面に台頭して来ていた「ロシア帝国」の進出を阻む対策が、政府の急務だったのです。その為に、「道路の整備」は絶対条件でした。極寒の荒野を切り拓く為に囚人達が駆り出されたのですが、その労働は過酷を極めました。どうせ「監獄から出られないまま死ぬ人間達だ」、そんな考えがあったらしいです。怪我人や栄養失調者が続出し、死者は200人以上となったとの事です。余りの過酷さに看守人まで同情しました。かなりの数の看守も死亡したそうです。網走から北見峠までの160Kmを僅か2年で開通させたらしいです。「北海道は囚人の力で開拓された」、監獄内にはそんな言葉が掲げられていました。現在は北見峠に「慰霊碑」があります。
この監獄は、非常に上手く造られていて(建造物としても優れていた)、「脱獄は不可能」と言われていました。ところが、「脱獄した囚人」がいたのです。 現在は、監獄の中で「その囚人の人形」が脱獄シーンを演じています。「脱獄囚」であるにも拘わらず、当時からその囚人は「英雄」と思われていたのです。
もしかすると、私の友人は、この囚人と二人で「杯」を交わしているかも知れません。 一緒に茶碗を叩きながら、「網走番外地」を唄っているかもしれません。 それが、「天国で」なのか「地獄で」なのか、私には判りませんがね。