人と人の『縁』

「袖振れ合うも多生の縁」と、昔からよく言われ来ました。

人と人との出会いは「全て」が「単なる偶然ではなく」て、深い因縁によるもの。だから、どんな小さな出会いも大切にしなければならない。これは仏教的な教えに基づいた事柄らしいです。

この際ですので、仏教の教えについて調べた事を少し書きます。
「多生」とは、六道を輪廻(りんね)して何度も生まれ変わるという意味で、「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。「多生」を「多少」と誤解している人もいるようですが、もっと意味深い事らしいです。           輪廻とは煩悩の一つであって、・天道(てんどう)・人間道(にんげんどう)・修羅道(しゅらどう)・畜生道(ちくしょうどう)・餓鬼道(がきどう)・地獄道(じごくどう) を順繰りに廻る運命みたいなものらしいです。この輪廻から開放される事を「解脱」というらしいです。

「夫婦の出会い」なんて、道を歩いていた時、「たまたま自分の足が蹴飛ばした道端の石ころ」、その「石ころを手に持ったようなもの」。昔、誰かからそんな話を聴いたので、その事をカミサンに話したら。「それじゃ、私はただの石ころだったのね!」と怒られた事がありました。

世界の人口は70億人を超えたらしいです。この地球上に現れた全人類を合計したら数百億人かも知れません。その内のたった二人が夫婦になるのですから、すごい事ですね。もっとも場合によっては、相手が複数の人だって事もあるでしょうけれどね? 何れにしたって、カップルの「組み合わせ数」を計算すれば天文学的な数です。「宝くじで7億円が当たる確立」より、「現在の相手と結ばれる確率」の方が遥かに小さいはずだから、大切にしなければと「思ってはいるものの、・・・?」、です!。

私がよく考えることの一つに、「一人の人間が、一生の間に関わる事の出来る人の数はどれ程だろうか」? があります。普通の人ならば多くて1000人、少ない人なら100人、有名人であっても一万人くらいだと思います。フェースブックなどで「友達が2000人」なんて人がいるけれど、一体「何人の事を覚えている」のでしょうかね? それって、知り合いだと言えるんですかね? 私は、自分の一生で1000人との関わりが持てれば凄い事だ、と思っています。「70億分の千」と言う事は、700万人に一人です。今あなたの隣に座っている人が700万人の中から選ばれた一人だと思ったら! 「どの出会いも本当に貴重な事なんだ」と感じます。

小人(しょうじん)は縁あっても気づかず。                  中人(ちゅうじん)は縁に気づいても、それを生かせず。
大人(たいじん)は袖すり合う縁も縁となす。

私はこの「ことわざ」をいつも意識して生きて来ました。その結果多くの大切な人と出会うことが出来ました。自分の周りにいる人の全てが縁で結ばれているのだと感じます。「自分と血縁で結ばれる事の選択」は、自分の力ではどうにもならない事ですが、「他人との縁」は自分で作れるものですから、「授かった縁」を生かすも殺すも「自分次第」です。

私は、日本だけでなく海外にも多くの友人がいますが、どの人一人をとっても、その「きっかけは極めて小さな出来事(傍から見れば取るに足らない事)」でした。その小さな出会いが、自分の人生に左右するするほどの「強い関係」になったのです。ラオスで行動出来るのもそうです。マレーシアでも、ドイツでも、アメリカでも、オーストラリアにも、考えてみれば「不思議な事」ばかりです。

やはり、「多生の縁はあるのだ」と感じます。出合った状況は、「単に袖が触れ合っただけ」かもしれませんが、もしかすると「その出会いは前世から決まっていた事」で、「人間が関知出来ない領域にある『絶対的な力』が働いている」のかも知れません。こんな風に考えると、「どんな人間関係も疎かには出来ない」そんな思いを強くさせられます。