もしかして、若いころの私って、女だったかも知れない!?

私、どうかしら?

世の中は日々移ろい行くものですね。                    ある種の「魚」は、環境によって「オス」になったり「メス」になったり変化するそうですが、人間は「もう少し高等」だから環境によって変化するのでは無くて、気分によって変わりたいですね。その時の気分によって、「男」になったり「女」になったりしたら、人生が変化に富んで面白くなるかも知れません。  「今日は天気が良いから、男で過ごそう!」とか、「雨の日は、シットリと女になろう!」とかね。でも、気分で「性」変わってしまうと困ることの方が多いかもしれません。朝起きたら自分のカミさんが男になっていたなんて事になったら困ります。もっと困るのは、自分の彼女が、夕方まで女だったのに夜になったら男に変わちゃった。こうなったら本当に「目も当てられない」でしょう。

ところで、「男」から「女」に「変身したつもり」になると、不思議な事が起こります。化けている事は、「自分でも判っている」し、「周りも判っている」はずなのに、「ただの遊び」だった事が、知らない間に「現実味」を帯びて来るのです。化けている時には、周りにいる男性の「こちらを見る視線」が、何処となく「野獣の気配」を醸し始めるのを感じます。それに対して、こちらも「仕草を、白うさぎのように従順」にしなければならないと、そんな気分になって来ます。これは、ちょっと「危ない現象」だと判断しなければなりませんよね。

このような過程を経て、私は「女」になりました。

そんな、こんなで、私は「変身」が「癖になりそう」になったから、早く足を洗う事を決心しました。

何とか「男っぽい」写真を探しましたが、格好の良い写真がありませんでした。 

ところで、「男らしい」とはどんな事を言うのでしょうか? 異論も多数あるでしょうが、私が最も「男を感じる形」それは、命を張って最前線に行った「兵士」の姿です。

人間と人間が殺しあうのが戦争です。戦争はどんな事があっても、避けなければなりません。「兵隊」が戦争を始めたのではありません。彼らは最も悲惨な犠牲者です。どこの国の軍隊だって、兵隊は身を挺して戦って来ました。     でも、結果は悲惨なものです。敵を殺さなければ、自分が殺されるのだから。

戦時中、遺書は色々と残されました。しかし喜んで特攻した人はいないはずです。特攻隊員が「突っ込む」のは、使命感からなのか? 命令に従がう為か? それは解りません。でも、確かな事は、自分が全く知らない「敵」を殺す為に、自分を犠牲にして来た事です。もう、「兵隊さんは格好が良い」なんて軽々しく言えません。でも彼等は本当に「男らしい」と思います。

「命を賭けている彼等の姿」と比べたら、これは随分と「軽い姿」ですね。