遠い昔は日に日に薄くなり、        やがては静かに消えてゆくのです。  

どなたにとっても、過去は「甘く切ないもの」なのかも知れません。         前回、私は自分の過去を振り返り、強く印象に残っていた出来事を書きました。でもそれを書いた直後、もう一度記憶を反芻しました。そして改たな気づきを見い出しました。それは彼女との最後の出会い、あの朝の事です。       私は二十数年間、あの最後の出会いは「偶然」の出来事だと思って来ました。               でも、あの出会いは「偶然にしては、出来過ぎている」、と感じたのです。  なぜなら、あの時まで、私は「町中で」しかも「日中に」彼女を見かけた事は一度だって無かったのです。もちろん彼女が住んでいた場所は見当もつきませんでした。それなのに、何の悪戯なのか、あの「タイミング」で、しかも「あの路上」で彼女と出会ったのです。出会いが「偶然」の出来事だったと決める事には無理がある、と感じたのです。 

 さてここで、私が勝手に推測している「マレーシアでの情報伝達の仕組み」について、チョット書いてみたいと思います。                          マレーシアの人口構成は、「マレー系住民」が約55%、中国系住民」が約30%、「インド系住民」が約10%、その他は「少数民族の人達」でした。 ラウブの友達は、ほとんどが「中国系」の人達でした。私が何度かラウブを訪れているうち、いちいち日本から小さな土産(茶とか海苔とかの小さな物)を、幾つも揃えて彼らの為に持参する事が面倒くさくなりました。             そこで、現地の友人達には黙って、ラウブに行った事があります。ところが半日もすると、私がラウブに行っている事を皆んなが知っていたのです。どうして、知っているのか不思議でした。当時は携帯電話など有りませんからね。         「華僑の人達」は世界中に情報網を持っています。では、ラウブの友人も情報網があったのでしょうか? そんな事は無いはずです。

  マレーシアでの食事は外食が普通で、一部の金持ちだけが家庭で食べていました。だから、食事をする時はいつも数人の友人と一緒でした。          ところが大抵の食事は、丸テーブルの中に「私が知らない人」が混ざっていました。最初はどうして自分の知らない人がそこにいるのか?解りませんでした。 その「私にとっては知らない人」が、「我々の話」を同じ席で熱心に聴いていました。多くの会話には必ず「困った事」や、「解決しなければならない事」が出て来ます。すると、次回皆で食事をする時には、いつもその「問題を解決出来る人」が加わっていました。良く考えれば多くの場合、その「知らなかった人」が私を助けてくれていました。そして、後になって「成る程」と思ったのです。 その習慣の素晴らしさが解りました。食事というのは、単に「食べる場」ではなくて、情報交換の場だったのです。この仕組みは非常に優れていて、知り合いはあっと言う間に増えてゆきました。華僑の人達は「世界レベル」でこの仕組みを持っている、と思います。困った時には有効に機能しました。        でも逆に、「チョットした噂」でもあっと言う間に伝わって行くのです。

私は外国人ですから、「話題に上る事」も多かったのだと思います。     私が「何処に泊まって」いて、「何をしている」のか、「どんな事を考えているのか」、多くの友達は日常的に知っていたのです。               「ビアーガール」の彼女もその「伝達網」の中の一人だったのではないでしょうか?そしてもしも、彼女が「私の行動の一部始終」を情報として聞いていたとしたらどうでしょう? 「あの朝、路上で彼女と出くわしたのは偶然だった」と、思い続けて来た、私の二十数年間はどうなるのでしょう?                              もしかすると、あの朝「彼女は私に別れを告る為」、「わざわざ」、「さり気なく、歩いて来てくれた」のかも知れないのです。                                  私が長い間「単なる偶然」だと思っていた事が、実は「意図的な行動」だった。    そう考えた瞬間、衝撃が私の体を貫きました。 

人生には、「甘い」けれど「切ない」出来事があるものですね。