世界中無数にある信仰、それをテーマにする無謀さ! でも今回も宗教的建築物を取り上げます。

現代はイスラム教が最も信者数を延ばしていると言われています。学者でもない私には何故そうなのか原因が解りません。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教がぶつかり合っている場所、イスラエルのエルサレムは度々ニュースで流れます。私も行った事がありますが、その話は別の機会にします。今回は余り戒律的には厳しくない、「トルコ」と「モロッコ」を取り上げます。

トルコにはそこいら中の町や村に「モスク」があります。

私は、このような国中に点在するモスクも十分観賞に値すると思います。でも、世界遺産となっているイスタンブールの「アヤソフィア」を採り上げない訳には参りません。ここは現在は「モスク」ではなくて「博物館」でして宗教行事が禁止されているそうです。

アヤソフィアの原型は西暦360年頃キリスト教の大聖堂として建てられたものが占領や地震によって壊れ、西暦420年頃再建されたらしいです。しかし当時としては余に巨大だったドームは、歪み崩れて修復や再建が繰り返されていたけれど、キリスト教の聖堂でした。でも1453年にオスマン帝国に占領されてから、1480年頃にイスラムのモスクに改修されたそうです。1934年オスマン帝国滅亡後に建国されたトルコ共和国によって、博物館として改修されたと言う長い激動の時代を経て現在に至っているらしいです。長い戦乱と地震、海に近接している状況によって建物は歪み崩落を繰り返しました。その度に修復された建物には歴史の味が浸み込んでいるように思われました。

イスラム教の別の大きなモスクは、このアヤソフィアに隣接して建っています。「ブルーモスク」と言われる美しいモスク、有名ですので内部の写真だけ掲示します。

モロッコもイスラムの国ですが、トルコとは雰囲気が全く違うモスクが、やはり村々にあります。どのモスクにもミナレットと呼ばれる塔を擁しているのは同じですが、こちらは角柱です。モロッコには円柱を造る技術が無かったとも言われています。

乾燥した大地をバスで行くと、たまに集落が見えて来ます。小さな川が流れている所やオアシスがある場所だと思われます。

モロッコでは、これまで見た経験が無かった風景を沢山見る事が出来ました。いづれかの機会に紹介します。

今度は仏教の寺を取り上げましょう。  まずは「タイ」です。 タイでは何処の村に行っても寺の建物が見られます。地方の村でも、タイの寺は煌びやかな建築物を擁しています。華やかな色合いの色ガラスやタイルのモザイク壁面は、見る者を圧倒します。

タイは観光で多くの人が訪れていますので皆さんもご存知かと思いますので、同じような仏教国であるラオスに焦点を合わせます。

ルアンパバーンの寺院です。拝観料(約70円)もとります。国民性の違い?経済力の違い?歴史の違い? どんな理由かは解りませんが、どちらかと言えばラオスの寺の方が日本の寺の雰囲気に似ています。でも地方の寺はもっと質素です。

由緒は無いかもしれないけれど、歴史を感じます。日本で言えば村の鎮守様と言う感じです。ラオスには小さな村々に寺が有りますが、山間部の貧しい地域にはありません。

最後にインドネシアのボロブドールを掲示します。ここは仏教遺跡です。三階の思想、「欲界」「色界」「無色界」を象徴している建造物らしいです。その下の基壇回廊にはレリーフが施されて「釈迦の生涯」の物語が綴られています。

有名な世界遺産ですから訪ねた方も多い事でしょう。

 

 

 

宗教は人々の生活と切り離せない重要な要素です。全ての国に存在します。

私はこのブログを、「自分が抱く世界観や歴史観」に照らし合わせて書こうとしています。  

まだ書き始めて間がないので、現在は「日替わりメニュー」のように、あっちへ飛びこっちへ飛びしています。それは私の思考形態が持つ「一種の癖」でして、まずは物事を色々な側面から眺めまわし、その後でゆっくりと細部を見てゆくというものです。

ですので、今回は視点をがらりと変えまして宗教に置きました。

「仏教」「キリスト教」「イスラム教」が世界の三大宗教と言われていますが、世界には無数と言えるほど沢山の信仰があると思います。私は学者では無いので、正確かどうかは解らないですが「独断と偏見」で書きます。

狭い視野でしか見えていないとは思いますが、自分の眼で見たもの、自分のカメラで撮った世界、を提示しようと思っています。今回は「ユダヤ教」「原始キリスト教」「キリスト教」のこれらの教会堂の「写真1」を掲示します。続きは「そのうち掲示する」としましょう。

ヨルダンのユダヤ教の教会堂です。

グルジア(現在はジョージア)の山頂にある教会堂、原始キリスト教の遺産かと思います。

ギリシャの教会、ギリシャにはギリシャ正教と言うのがあるらしいので、もしかするとその教会かもしれません。

イタリアのキリスト教大聖堂(アッシジにある:聖フランチェスコ聖堂)。

次回は「仏教」と「イスラム教」を取り上げようと思います。

 

写真は四次元の時空を捕らえる! チョット大げさが過ぎるかな?

私は、皆さんにラオスなどのアジアの国々に関心を持ってもらい、理解してもらいたいと思っています。そして、私が志すハーブ(薬草)事業の背景を知って頂いた上で、私がつくるハーブ製品を買って頂きたい。そんな思いでこのブログを書いています。

つまり結論として、私はラオスの人々が山で採取するハーブ(薬草)を買って上げたいのです。 でもそんな事ばかり言っていたのではつまらないので、中身を膨らませようとしています。

今回のブログ、別の切り口からの断面を見て下さい。

私は写真を趣味にしています。一口に写真と言っても守備範囲は広いですが、私は、「写真を撮る事」、「画像処理をして印刷する事」、そして「記録として残す事」、これらの事柄に興味を持っています。

写真は二次元の平面に「像」として在るだけです。でも不思議な事に、捕らえている対象物は三次元で「実在する物」です。更に考えてみれば、その他に「時間を捕まえる」と言うもう一つの次元を持っています。それが「記録する」と言う要素で、私が非常に大事にしているものです。

今回は一番身近な存在である「我が家のカミサン」の時間の流れに的を絞りました。 ウソでしょう! 誰にでも若い時があったのです。写真はタイムマシン。

我々の日本は何処へ向かえば良いのでしょうか?

ひと昔前、日本はアジアの兄貴分になってアジアの国々をリードして行かなければならない、なんて言葉をよく聞きましたが、最近では殆どそんな話は出てきません。日本の影響力はどんどん低下しています。

でも、諸外国で日本の文化を高く評価する機運が高まっているのも事実です。

アジア(特にラオスやマレーシア)には自然はふんだんに在りますが、文化的には余り恵まれていません。その点ヨーロッパはそこいら中に魅力的な建築物、絵画、音楽、工芸品、等々が在ります。今回はチョットラオスを離れてそんな地域に目を向けてみましょう。

 

欧米には女性が好む風景が沢山あります。

さて、これから日本はどこに向かって行くのが最善なのか?         考えて行きましょう。

守って行かなければならない人達

誰にでも、自分が守ってゆかなければならない人がいると思います。    まずは家族です。どんな事があっても守り切らなければならない人です。

それから社員とその家族も守らなければなりません。  もちろん友人、知人も大切にします。

こんな汚くて小さな会社であっても、何十人かの人を支えているのですから、泣き言は言っていられません。

では、ラオスはどうでしょうか?

私はラオスにこのような現実がある事を10年以上前から知っていました。いつかは行きたいと思っていました。そしてついに現地に赴きました。それから、彼らは貧しいけれど決して不幸では無い事も感じ取りました。でも彼らが、もっと近代的な生活がしたいと切実に思っている事も、再認識しました。  私が抱いている彼らに対しての思い(同情心?、使命感?、自己満足?営利が目的?)それは何なんでしょう? その想い、動機、は純粋なものであるのか? それを常に自分に問わなければなりません。  

かつて、京セラの会長、盛和塾の「稲盛和夫塾長」が語っていました。≪自分が新規の事業を興す時は、「自己の動機が純粋で有るか否か」それを常に真剣に自分に問うている≫と。

私もこれに倣わなければ、と思いますが、その純粋性にはイマイチ自信がありません。

私が事業を考える時はいつも「三方良し」を意識します。つまり、≪売り手良し≫ ≪買い手良し≫ ≪世間良し≫ です。このハーブ事業の場合、ラオスの事を考えれば「売り手とは、現地でハーブを採取する人」「買い手とは、アジアウッドの私」「世間とは、世界の人々」です。日本国内だけで見れば「売り手は、アジアウッドの私」「買い手は、ハーブを購入するお客さん」「世間は、日本の社会全体」です。   私はこのハーブの事業が「三方良し」の思想に合致していると信じています。だから、己の動機の中に少しくらいは不順な部分があっても良いのではないか、とも思います。

子供たち、可愛いらしいでしょう!

 

 

 

日本は本当に静かで清楚な国ですよね!そう思いませんか?

帰国して成田空港から東関東自動車道に入るといつも感じる事、それは「日本て本当に静かな国なんだ!」です。私はそんなに海外を沢山知っているわけでは無いですが、日本の空気は「苔のようにしっとりと、穏やかに地上に留まっている」、そんなふうにいつも感じています。  それが大都会の羽田空港にでさえ、成田に降り立った時の感覚と似たような空気感を感じてしまいます。  皆さんから、「あんたの間性が変っているからだ!」と言われそうですが、私は常々感じています。

海の無い国ラオスですが、やはり静かです。人々は穏やかに暮らしています。

 

先進国人だと思っている自分が、発展途上国を旅行する。チョット勝手者じゃないの!そう思うことがあります。

日本は百数十年前の明治維新の頃から先進国になったのではないでしょうか?

日清日露の戦争があり、第一次大戦そして太平洋戦争、日本の国はこれらを乗り越えて来ました。そしてこの数十年は平和な生活を楽しめています。私にも海外に出るチャンスが与えられました。

私は旅行した時、自然溢れる風景、素朴で前近代的な生活様式に一時でも囲まれる事を望みます。そんな私が、旅に出て勝手な願望を持っている自分に度々気が付きます。つまり普段は自分が文明の恩恵を存分に受けて生活しているにもかかわらず、地方に行った時や、海外に行った時は、文明がまだ入っていない状況を望んでいる事に気づくからです。普通の人であれば、だれでも便利で清潔な生活を望むのは当然ですから、発展途上国の人々だって、文明の利器に浴したいのは当然です。それなのに自分が、文明から遠い世界に入り込みたい欲望があるもので、自分が行った地域が未開拓である事を望んでしまうのです。誠に勝手だと思いませんか?しかし、この思いは殆ど全ての日本人に当てはまっているのではないでしょうか?

ラオスには、自然が溢れていますし、日本の二昔も三昔も以前の形で人々が生活している地域が沢山有ります。

でも、この地域にも近代化の波はどんどん入ってきています。

この山中に新しい道路が出来るのです。時々大型ダンプカーやミキサー車が埃を舞い上げて通り過ぎて行きます。但し、全て中国から来た会社の車です。恐らく中国が資金援助しているのでしょう。何故、中国が資金援助するのでしょうか?ラオスの将来に禍根が残らなければ良いのですが?!

これがラオスの人々にとって、喜ばしい事か?困った事か?難しいところです。何故だか、日本の援助は殆どありません。

この家庭に訪問したのは2回目です。子沢山の家族で、以前ここの旦那さんに山中のハーブが採取できる場所へ案内してもらいました。この地域は現金収入の手段が殆どありません。ハーブを買って上げられれば僅かでしょうが、この人達の役に立てる気がします。もし興味が有る方が、そんな事の手助けをして下されたならば幸いです。