五千年も奪い合いが続いている地。乳と蜜の流れる地、「カナン」。

またまたアジアの地から脱線ます。今回は中東に行ってみます。皆さんも、これまで私のブログを見て気づかれたと思いますが、「ラオスの写真」は他の地域のものと比べると、「余り見栄えがせず退屈な絵柄」になっていると感じる事でしょう。「ラオスという国」は何処に行っても自然が溢れ、人々が貧しくても平和に暮らしています。そのような場所を写真の対象として見れば、「変化に乏しく、写真にするのが難しい」つまり写真になり難いのです。それとは対照的に中近東には写真に良い素材が沢山あります。今回はイスラエルの北部が舞台です、国境線も曖昧な地域に焦点を合わせます。

夜明けのガリラヤ湖です。太陽はゴラン高原の向うから昇ってきます。

ここは「ガリラヤ湖」地球上で二番目に海抜の低い湖です。海抜はマイナスで約200mです。「死海」は世界一低い湖ですが、ここから約80Km程南に下った所です。その海抜はマイナス約400mです。ガリラヤ湖から流れ出る水(淡水)は死海に流れて行きます。それがヨルダン川です。死海は世界で一番低い所だからその水は何処にも流れ出る事が出来ないのです。太陽の光と熱で段々濃縮されて、ついには塩水になってしまいました。しかも濃度が濃すぎて塩が結晶として析出するまでになったのです。このブログでも、いつの日か死海をテーマにしたいと考えますが、今回は「ガリラヤ湖」です。

夜のガリラヤ湖、湖の上に点在する灯りはゴラン高原に入植した人々のです。

ガリラヤ湖はティベリア湖とも言われますが、この地域はギリシャ時代以前から多くの民族が奪い合って来た肥沃な土地です。私はクリスチャンではないので詳しいことは知りませんが、旧約聖書に出てくる「出エジプト記」の事は、海が割れるシーンで有名な映画になりました。これは約3000年前(正確には解っていない)の話で、モーセは当時エジプトで奴隷にされていたユダヤ民族を引き連れて、「約束の地」、「乳と密の流れる地」、と言われていたこの地方(カナンの地)を目指した歴史を語っています。ユダヤ教では、ユダヤ人は「神から選ばれた民族」、「カナンの地はユダヤ民族が神との約束で与えられた土地」だと教えています。カナンの地はゴラン高原やガリラヤ湖、死海、その周辺の地から地中海に至る肥沃な土地だったのです。周辺の民族だって自分の土地にしたくなるのは当然の話です。だから五千年間も奪い合いの戦争をしてきたのです。

カナンの地(ゴラン高原も含む)は、シナイ半島やアラビア半島、イランやシリア、等々の非常に乾燥した土地と比べれば、比較的に雨量が有りますから肥沃な耕地が広がる魅力的な土地です。なので、力(武力)を持つ者が支配する土地であり続けましたした。ユダヤ民族はローマの時代にはこの地から追われ、世界中に散らされました。そして暗黒の第二次世界大戦が終った時、国際的にイスラエルの建国が認められたのです。それが認められるやいなや、ユダヤ民族はこの地に結集して来たのです。現在に至っても入植は相次ぎ、周辺国の民族(パレスチナ等)との摩擦が絶えません。ユダヤ系の民族は優秀な能力を背景とし、その富を武器にして、支配地域を広げてきました。付け加えれば、ゴラン高原は中東戦争にイスラエルは勝利し、シリヤからから奪い取った土地です。今も占領が続いています。

ゴラン高原からガリラヤ湖に下った辺りで、約2000年前イエス・キリストが布教活動を始めました。その時、イエスは30歳くらいだったらしいです(イエス・キリストは殆どの布教活動をガリラヤ湖周辺で行っている)、それまではナザレの街で大工をしていたとのことです。驚くべきは、イエスが布教活動をした期間は僅か3年に過ぎなかった事です。33歳の頃に磔(はりつけ)の刑にあったのです。そして2000年以上継続した今も世界中で信仰されているのです。

ガリラヤ湖、湖畔の小高い丘の上で、イエスが多くの民衆に向かって説教をしました。それは「山上の垂訓」と言われ有名な話です。新約聖書に記されています。その場所は学術的には特定されていないらしいですが、現在はその場所だと伝承されている所に「山上の垂訓教会」が建てられています。

ガリラヤ湖は大地溝帯の一部という地勢的な条件もあって、湖面が頻繁に大荒れになるそうです。その為か、聖書の世界ではイエス・キリストが幾多の奇跡を行った話が沢山書かれています。