今回は長文になってしまいます。悪しからずお付き合い下さい!
カスピ海の西岸に位置するアゼルバイジャン、その首都がバクーです。 バクーは原油を産出している世界でも有数の地域です。
私が中学生の頃「バクーは、世界で一番石油を沢山産出している油田です。」 そんな文章が社会科の教科書に書いてありました。当時、何も知らない私はまず[バクー]の発音が、「犬が人に噛みつく様」を連想して「音」として可笑しかったのですぐに地名を覚えました。当時はペルシャ湾岸諸国の油田はまだ開発途上であって、バクー油田が世界の産出量の半分くらいを占めていたのです。それから[カスピ]と言う地名にも「不思議な響き」を感じていました。そのせいでしょう、私は社会科が非常に苦手科目だったけれど、「バクー油田」の事だけは直ぐさま「ちゃんと覚えた」のです。そして、いつかは「カスピ海」と「バクー油田」をこの目で見てみたい、と思うようになっていました。そして大人になって、「カスピ海の上空」を飛ぶ機会を得たのです。
最初にカスピ海を「西方から東方へ」通過したのは、太陽が夕日となって地平線に隠れそうになっていた時刻でした。眼下に黒味がかたった「群青色のカスピ海」が見えた時の印象は脳裏に鮮明に残りました。カスピ海の西岸にあるはずの「バクー」を必死で探したけれど見つけられませんでした。写真の左側が西です。その時は、バクーが小さな街である事は知っていたけれど、「原油を汲み出す井戸から出るガス」を燃やす大きな炎が見えるに違いない、と考えていたのです。でも良く考えてみれば、例え「炎」が燃え上がっていたとしても、一万メートルもの上空から炎が見えるはずは無かったのです。それに、その炎だって燃えているという保証は全く無かったのです。バカな考えを持ったものです。それから、その次にカスピ海の上空を通過する機会を得たのは、「東方から西方へ」向かった時でした。でもその通過時刻は真夜中だったから、眼下は真っ暗で海面すら見えませんでした。その時私は、点のような小さな明かりさえも見落とすまいと探したけれど、結局見えませんでした。それからも、何としてもカスピ海をはっきりと見たい。と、そんな願望を持ち続けました。 そして、ついにその願望は現実のものとなりました。
この足で「憧れのバクー」に降り立ち、空想の場所であった油田地帯を確認できる機会となるはずでした。
しかし、実際のバクーはそれまで抱いていたイメージとは「全く別物」でした。 それまでバクーは、原油をくみ上げる為の鉄塔のような「井戸のやぐら」が大地に林立していて、所々に「やぐら」から吹き上がる炎が見える(湾岸戦争終了の間際、クエートの油田が燃えていたニュースが刷り込まれていた)、そんな情景をイメージしていたのです。そこは片田舎で寂しくて殺風景な場所に違いない、と思っていたのです。 ところが! ところが! です。
この写真が、現実のバクーでした。近代的な高層ビルが建ち並び、未来都市を象徴するようなデザインのスタジアムやビル群が広がっていたのです。 その上、これまで自分が持っていた「バクーへの思い」が破壊される出来事が発生したのです。
皆さんにはこの写真の建物が何だか解りますか? 実は私にも解らないのです。 この写真のシャッターを切った直後、突然、私のカメラのレンズが何者かの手で塞がれたのです。最初、何が起こったのか解りませんでした。原因は、我々の「現地ツワーガイド」が私の撮影を妨害したのです。こちらにしてみれば、普通の街中を普通に歩いていて、ちょっと変わった建物があったから撮った。それだけの事なのです。それを、何の説明もなしに突然妨害して来たのです。しかも、妨害したのはツワー会社が雇った「現地ガイド」なのです。こちらはガイドのやり方に腹が立ったので、ガイドに文句を言いました。そのガイドは平然と、「国旗の出ている建物は撮るな!」と言うのです。こちらは、「そんな事は最初から言って置くべきだ! それにこの建物の何処に国旗があると言うのだ!」と言い返したのです。けれど、ガイドはそっぽを向いて平然としてたのです。そのガイドは中高年の、「大柄で太った女」でした。後で添乗員に聞いたところ、このガイドは大学の教授をしているのだけれど、教授の仕事だけでは生活が成り立たないのでアルバイトでガイドをしていると、そんな事でした。 もう、この事があった後は、自分があれほど思い入れをしていた「バクー油田」に興ざめしてしまいました。こうなると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなって、見る物全てに反感を持ったのです。
この写真の建物は公共の建築物ではないのですよ、個人の住宅なのです。私はこの家を見て、素直に「凄い家だね。良いね!」とは思わなくなっていました。 逆に「石油成金め、こんなに「でかい家」を建てて、どうするつもりなんだ!」と、もう反感だけが先に立ちました。 私のある友人がよく言っていました。「その国に好印象を持つか反感を持つかは、その国で最初に出会った相手によって決まってしまう!」とね、本当にその通りの事が起こったのです。
でもその後で、「別の現地ガイド」となったので、印象もがらりと変わりました。 その事は、この次の回に記述します。