今回は、少し「シリアスな事柄」を取り上げたいと思います。
最近は、新聞でもテレビでも、「様々な不祥事」や「問題の発覚」がニュースになる事が、非常に多くなったように感じます。内容的には確かに「取り上げられた側に非がある」とは思いますが、どこか変だと思いませんか? 余りにも「細かい事まで追求している」と感じませんか? トゲトゲしさを感じるのです。 新聞、ラジオ、テレビ、いわゆるマスコミって「人を裁く事が使命」なのでしょうか? もっと言えば、マスコミは「人を裁く権利」を持っているのでしょうか?
≪子供が殺され、捜査線上に容疑者が上がった。そして捕らえられた。≫ そんなニュースを聞けば、私だって、犯人の姿を見てみたいと思うし、犯人を憎いと感じます。多くの場合、容疑者が真犯人である可能性は高いでしょうが、冤罪の可能性だってあります。だからこそ注意が必要です。事件を興味本位だけで「伝えてしまう事」、「見てしまう事」、には問題があると思います。どんな事にも「読み違い」という過ちがあります。やはり注意が必要だと思いませんか?
特に目に障るのは、「公務員の不祥事」、「政治家の失言」、「企業の不正問題」、「有名人のスキャンダル」、・・・こう言う事になると、いわゆる「リポーター」とか「キャスター」とか「評論家」と言われる人物が登場して、あたかも「正義の味方」のような顔をして、解説を交えながら喋りまくることです。結果として、マスコミは容疑者に対し「社会的制裁」を加えているのです。 それを見聞きした視聴者や購読者の多くが、その解説を「真実だと思い込む」のではないでしょうか? 「集団による裁き」=「リンチ」の可能性、その確率はかなり高いと思われます。 リポーターやキャスター、評論家は、いつ人を裁く権利を得たのでしょかね? 公衆の面前で、何の権利も資格も無い人物が、人を裁いて収入を得ているなんて、まるで「何んか?」みたいです。
「非常に些細な事」までがニュースで取り上げられる、これが最近の傾向のように思います。いちいちニュースに取り上げなくても、「警察や司法に任せれば済む」事にまで、「偉そうな、正義の味方のお顔」が登場して解説するのです。「あんただって、叩けばホコリが出るんじゃないの?」と、私は言いたい。
私は、こんな社会の傾向を「良くない」と思うのです。つまり、「人を裁く事」が日常化し、「相手の些細なミス」まで「非常に強く責め立てる風潮」が出来てしまった、と思うからです。
世の中には、「権利だ!、俺には権利があるんだ!、人の権利を侵すな!」と騒ぎ立てる人がいます。 一方では「自由だ!、俺の自由だ!、俺の自由を侵害するな!」、と騒ぎ立てる人がいます。 その人に、あんた権利ばかりを言ってるけど、「自分の義務」を忘れてるんじゃないの? あんた「相手の自由」を侵してまでも「自分の自由」を主張する気かい? と私は言いたい。
とは言いましても、私いや私ばかりでなく、どんな人でも、自分が意識していない所で、世の中に対して「何がしかの迷惑を掛けている」はずです。そして世の中はそれを「許容」してくれている場合が、実に多いと思います。だから私は、自分が人から受けた「多少の迷惑」は大目に見る必要がある、と思っています。
「不寛容な社会」は「住みにくい」と思いませんか? 幸い、この道路は毎朝、隣家のおじいさんが掃除してくれます。有難いです。私も掃きますけどね。









